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白という多彩を生きる無二性──『すべての、白いものたちの』読書感想文

ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの作品。
以前に友人に薦められて、『少年が来る』を読んでいます。

以前探した時は図書館の蔵書にほとんどなかったのですが、これからはハン・ガンさんの著作が入手しやすくなりそうですね。
『菜食主義者』は読んでみたいなと思っています。

2作読んだだけですが、ハン・ガンさんの文章は、人間の肉体感を伴って「生きること」「生きていること」を感じさせる生々しさと、不思議に張り詰めた緊張感のある硬質な美しさがあります。


白いもの。生きること。

原題は「흰(ヒン)」。
韓国語には白い色を表す言葉が二つあるそうですが、「흰」でなくてはならなかったと、作者はあとがきに述べています。

私の母国語で白い色を表す言葉に、「ハヤン」と「ヒン」がある。綿あめのように清潔な白「ハヤン」とは違い、「ヒン」は、生と死の寂しさをこもごもたたえた色である。私が書きたかったのは「ヒン」についての本だった。その本は、私の母が産んだ最初の赤ん坊の記憶から書き起こされるのでなくてはならないと、あのようにして歩いていたある日、思った。

作家の言葉(p.177)

それぞれの白の真のニュアンスは韓国語を母国語としない私にはわかりませんが、純ではない=内包するものの多い"白い(ヒン)"を「生」「命」と絡めて織りなし詩的な表現で綴っている──そんな作品でした。

リアルとスピリチュアルが絶妙に行き来するのは、韓国的な死生観に基づくもの? それとも彼女特有の文学的志向なのでしょうか。

自分の生まれる前に、生まれて数時間でこの世を去った姉。
生きながらえていれば、自分はいなかった存在。
自分の代わりに生を得ていたかもしれない存在。
自分の経験をそっくりそのまま得ていたかもしれない存在。

白は産衣の色であり、喪衣の色である。
痛み、寒さ、恐怖、喪失、命のもと、甘さ、きらめき、儚さ。
それらを内包する「白」。

めまぐるしく切り替わるエピソードの断片。バラバラだったそれを全部たどってつなぎ合わせると、いつのまにかひとりの生がくっきりと浮かび上がってきます。

しなないで しなないでおねがい。

どうしようもない状況で母親がかけ続けた、生まれたばかりの無力な赤ん坊への言葉。
そして、そのあとに生まれた、自分。

代わりのないもの。生きること。

しなないで しなないでおねがい。

この言葉のいずるところ。3人の母で、4人目を妊娠中の私にはよくわかります。胎内で、そして生まれて。育てた子どもを失くすという痛み。

今? 昔? 状況? 頻度? そんなものは関係ない。

子どもを失くすことは、いつだってあり得ないくらい、言葉にも、何にも表せないくらいの苦しみです。

だから、この言葉の密度の高さ。この言葉に含まれたもの。それがこの作品のすべてなのではないかと思います。

518の韓国光州の地にも、ワルシャワの焦土にも、そして今も地球のどこにでも、たくさんの中の一つではなく、そのものしかない固有の命の継続を願う「しなないでおねがい」という祈りが無数に存在するのです。

この私自身も、死産した姉の後に生まれた子です。
7カ月までお腹にいたという、4歳年上の姉がもし生きていたら。
私はこの世にはいなかった。

私は姉の代わりに生きているのかもしれないし、
姉は私の代わりに生きていたのかもしれないし、
姉の魂は私なのかもしれない。

でも、

しなないで しなないでおねがい。

姉はそう願われた子どもだったし、私もきっと同じ。母は他の誰でもない「その子」に対して、願ったのでしょう。

そして今、私は自分の子どもたちに願うのです。

しなないで しなないでおねがい。

けっして代わりなどいやしない、その存在に。
それぞれの多彩さに溢れた生に。
それぞれの白さを容れるその命の特別さに。

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