アナログ派の愉しみ/本◎ナショナル ジオグラフィック編『世界の特別な1日』

写真とは歴史のプロセスにおける
「犯行現場」の記録なのだ


同じ視覚にかかわる表現でも、絵画や映画では感銘を受けたときに思わず声が洩れたり、それをだれかに伝えたくなったりするけれど、写真に対しては口をつぐんでしまう。それは必ずしもわたしだけの反応ではあるまい。優れた写真はどうして観る者に沈黙を強いるのだろう? その疑問への回答が、ヴァルター・ベンヤミンの『技術的複製可能性の時代の芸術作品』(1935年)に見出せる。

 
「写真においては、展示価値が礼拝価値をあらゆる戦線で撃退し始めている。〔中略〕こういった過程にその場を与えたことが、アジェ(フランス人の写真家)のもつ比類ない意義である。彼は1900年頃のパリの街路を、人影のない風景として定着した。アジェはパリの街路を犯行現場のように撮影したと言われているが、それはきわめてもっともなことである。〔中略〕写真撮影は、歴史のプロセスの証拠品となり始める。そのことが、これらの写真の隠された政治的意義をなしている。写真はすでにある特定の意味で受容することを要求しているのだ。こういった写真にとって、自由に漂うような瞑想はもはやふさわしくない。写真は観る者を不安にする」(山口裕之訳)

 
この有名な論考の、映画をめぐる言説には多少首をかしげたいところがあるものの、それに先立つ写真についての議論は有無を言わせぬ卓見だと思う。19世紀に登場した写真は、人類にとって歴史のプロセスにおける「犯行現場」を記録するメディアだったのだ。それをあからさまに証明するのが、ナショナル ジオグラフィックの編纂になる『世界の特別な1日』(2017年)だ。わたしはこの本のページを開くたびに、人類が辿ってきた光と影の「犯行現場」を目の当たりにする思いで不安に駆られずにはいられない。

 
ここには1869年「大陸横断鉄道」(米国、ユタ州)、1905年「アインシュタインと相対性理論」(スイス、ベルン)、1912年「タイタニック号沈没」(英国、ロンドン)にはじまり、2001年「グラウンド・ゼロ」(米国、ニューヨーク市)、2015年「火星探査機『キュリオシティ』のセルフィー」(火星、アイオリス山)、同年「レスボス島、難民流入」(ギリシャ、レスボス島)に至るまでの、決定的な場面を記録した100点が選ばれている。いずれもどこかで目にしたか、ないしは目にしていなくても強い既視感のある傑作ばかりで、ひとつひとつのドキュメンタリー写真に秘められたエピソードが添えられているのも貴重だ。そのなかで日本をテーマとしたものは、いずれも1945年の「硫黄島の戦い」「長崎への原爆投下」「広島の母子像」の3点で、グローバルなフォト・ジャーナリズムの視座からは、太平洋戦争での日本の敗北がとりわけエポック・メイキングな出来事だったことを示唆している。

 
作品にまつわるエピソードで最も凄惨なのは、1993年「ハゲワシと少女」(スーダン、アヨド)のものだろう。深刻な食糧危機のもとで痩せ衰えた幼い少女が地面にうつぶせになっている背後で、ハゲワシがじっとそのときを待っている――。

 
南アフリカのケビン・カーターが撮ったこの写真は『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されて大反響を呼び、アフリカの飢餓問題を世界にアピールしたことでピュリッツァー賞に輝いたものの、やがて世間から撮影後に少女を救ったのかどうかの疑問が出され、カーターは何も答えないまま33歳でみずから命を絶ったのだ。カメラマンが「犯行現場」を眼前にしたとき、ただそれと向き合って世界に伝えるだけの存在でいられるのか、それとも一個の人間としてその現実に責任を負わなければならないのかという、おそらくは写真が発明されて以来の重い問いかけを残して。

 
今日、上空からは人工衛星のカメラが見下ろし、地上では網の目のように監視カメラが張り巡らされつつある状況のもとで、これからは歴史のプロセスにおける「犯行現場」も機械が自動的に記録していくのに違いない。そのときには、まったく人間の手が介在せずに、ということは現実への責任もなく撮影された「ハゲワシと少女」の写真が現れ、それを眺めてわたしたちは同じように心を動かされるのだろうか。


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