アナログ派の愉しみ/ドラマ◎『ザ・パシフィック』

太平洋戦争の
最前線が炙りだしたものは


果たして戦争映画に対して傑作という言い方をしていいのか、ためらいを覚えつつも、それでもわたしの知るかぎり最高傑作と呼びたいのは『ザ・パシフィック』だ。ただし、厳密には劇場用映画ではなく、アメリカのケーブルテレビ局HBOが2010年に放映した全10回のドラマ・シリーズで、現在はDVDやビデオ・オン・デマンドにより視聴することができる。テレビ・ドラマとしては異例の規模の予算が投じられ、スティーヴン・スピルバーグやトム・ハンクスが製作総指揮にあたり、太平洋戦争の実戦を体験したアメリカ海兵隊の生存者たちの手記や証言にもとづいて再現された映像は、それ自体がきわめて貴重な歴史的記録で、二度とつくることは不可能だろう。

 
はっきり言って、そこにはわれわれにとって正視しがたいシーンがしばしば現れることをあらかじめ断っておく。一例を挙げれば、狡猾な海兵隊員(ラミ・マレック)は日本兵の死体に馬乗りになり、その口元をナイフで切り裂いては金歯をえぐり取ってあとでカネに替えようとする……。実は、この作品に先立って、同じスタッフがヨーロッパ戦線を舞台に制作した『バンド・オブ・ブラザース』(2001年)では、アメリカの空挺師団の兵士の目をとおしてナチス・ドイツとの戦闘を追っていくのだが、どれほど激烈であっても人種や宗教の通じあう「人間」と「人間」同士の戦いであるのに対して、『ザ・パシフィック』のほうは決定的に異なる。太平洋戦線で海兵隊の兵士が相手にしたのは「人間」ではなかったのだ。

 
「あの釣り目のイエローモンキーどもを皆殺しにしろ!」

 
日本のハワイ真珠湾攻撃による開戦から8か月後、そんな勇ましい声とともにアメリカ海軍第一海兵師団の兵士たちはソロモン諸島のガダルカナル島へ上陸し、いよいよ反転攻勢に打って出た。さらには、ビスマルク諸島のニューブリテン島、パラオ諸島のペリリュー島……と南太平洋の島々を転戦していくのだが、兵力や火力の面では圧倒的な優位に立っていながら、これまで経験したことのない熱帯雨林の暑気、食糧以上に深刻な飲み水の不足、マラリアなどの風土病に苛まれるなか、昼となく夜となく地面から湧き出すような日本兵たちを機関銃でつぎつぎと薙ぎ倒してもやむことなく、あとからあとから骨と皮だけになった姿で襲いかかってくる。かれらにとって、そんな「人間」と「イエローモンキー」の戦いとは何を意味したのだろうか?

 
主役のひとり、ジョン・バジロン軍曹(ジョン・セダ)はガダルカナル島での戦功によって名誉勲章を授けられただけでなく、南太平洋の英雄として戦時国債のキャンペーンをPRするため本国に帰還したものの、ハリウッド・スターのような生活にいたたまれず、みずから現場復帰を志願して今後出征する新兵の教育訓練に当たることに。そして、早く戦場に行ってジャップどもをやっつけたい、とさかんに気勢を挙げる若者たちに向かって、かれはこう告げるのだ。

 
「ジャップをやっつける? 簡単に言うじゃないか。石鹸の広告に出てくる間抜けな出っ歯の小男を想像しているとしたら大間違いだ。はっきり言ってやる。おれの知っているジャップは、日本軍の兵士は、お前らがオムツのころからずっと戦い続けてきたツワモノだ。粗末な武器の扱いに長け、ウジの涌いた米と泥水を糧に、死ぬことも傷つくことも恐れないで、お前らを殺してやろうと待ち構えているんだ。決して見くびるんじゃない!」

 
南太平洋戦線を描いた日本の映画やドラマでは、とかく日本軍兵士について尾羽打ち枯らした哀れさを強調するきらいがあるが、ここで語られるとおり、アメリカ軍の側にとっては逆に、底知れぬ恐怖とある意味での敬意を引き起こす存在だったのだろう。いや、それだけではない。バジロン軍曹は結局、退役を控えた境遇にありながら新婚間もない妻も置き去りにして、自分の教え子たちといっしょに硫黄島へと向かって上陸するなり銃弾を浴びて戦死してしまうのだが、誤解を恐れずに言うなら、それはまるで恋人のように日本軍との交わりを希求してやまない姿にも見えるのだ。「人間」が「イエローモンキー」との戦いに惑溺していく。その不条理を炙りだしてみせたことこそ、この作品をわたしが戦争映画の最高傑作と見なすゆえんだ。

 
約10時間におよぶドラマは、住民まで巻き込んだ沖縄戦と広島・長崎への原爆投下を経て終戦となったところで幕を閉じる。だが、アメリカの「イエローモンキー」を相手とする戦いは、その後も朝鮮半島、インドシナ半島、中東地域へと続いていくのである。


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