アナログ派の愉しみ/本◎獅子文六 著『自由学校』
夫と妻がそれぞれに
自由をめざす冒険へと
わたしは自由に生きているのか? 何も大上段に振りかぶった哲学的命題や国家・社会との対峙の仕方といった意味だけではなく、もっと普段着の日常生活を送っていくうえにおいても重大なはずのそうした問いかけを、いつの間にか、われわれはすっかり忘れてしまったのが実情ではないだろうか。
獅子文六の『自由学校』(1950年)は、このテーマに対してちょっと恥ずかしいぐらい真正面から立ち向かった珍しい作品だ。それは太平洋戦争の敗北からまだ5年しか経過していないタイミングで、新聞連載という形式ゆえに一般大衆向けのユーモア小説として書かれたことでかえって可能になったのかもしれない。
東京の郊外でサラリーマン生活を送ってきた南村五百助と駒子の夫婦は、なんとか無事に戦火を乗り切ったいま、今度は進駐軍といっしょにやってきた男女同権・自由主義の洗礼を受ける。そのあげく、五百助は気苦労ばかりが多い会社を勝手に退職してしまい、あとで知らされた駒子が憤怒のあまり「出ていけ!」と叫ぶと、悪びれずに「では、サヨナラ」とさっさと家出したところからハナシがはじまる――。
その鼻息の荒い駒子の胸中にあったのは、こんな思いだ。
太平洋戦争が始まった年に、結婚したのが、そもそも、よくなかった。戦争に揺られ、タタられ、大いに感化された。人は、戦争未亡人の外に、戦争夫人というものの存在を、知らねばならない。共に、戦争の生んだヤモメである。前者は良人を失い、後者は良人を見失ったというに過ぎない。戦争夫人は、大きくいえば、日本男子に愛想をつかしてるのだが、とりあえず、わが良人を対手とせず、無視してるのである。自分の力で生き、自分の頭で考え、自分の腕で食い、自分の意志で欲情する――万事、自分ずくめである。一切、良人の世話にならないことを、理想とする。
自分の自由!
久しぶりに独身気分に立ち返った彼女は年下の男たちとかりそめのヴァンチュールを楽しむ。なるほど、これまで男尊女卑の風潮にがんじがらめになってきた女性たちにとっては必然的な自由への欲求だったろう、とわたしも頷きかけてふいに気づく。作者が解説するところの「戦争未亡人」はともあれ、日本男児に愛想を尽かし、夫の世話にならず無視するだけという「戦争夫人」のほうは、以後ますますはびこり、今日では「自立した妻」と名称を変えてごく当たり前の存在となっていることに。
一方の五百助はといえば、こんな具合だ。
彼が細君を迷惑に感じ出したのは、戦後のことである。なにもかも、戦争がいけない。家が零落して、細君が働き振りを示し出したら、とたんに、迷惑な女性に変化してきたのである。庭の掃除をしろとか、井戸水を汲めとか命じられるのを、苦にするのではない。〔中略〕ただ、細君がそういうことを命じたり、ガミガミと呶鳴りつけたりする――その気持が、迷惑なのである。
それは、カサにかかった気持である。一方的、強権的、弾圧的な気持である。彼は、ノシかかられる重みを、常に、細君から感じなければならなかった。しかし、それが愛情というものと、交換物資の役割をするのだったら、彼は喜んで忍耐したであろう。つまり、昔の女髪結(かみゆい)の夫婦形態であったら、なにも文句はいわなかったのである。ところが、その愛情すらも、戦後型となって、遅配や欠配が多くなった。
まあ、こちらも時代とはかかわりなく大方の亭主族が共感する見解に違いない。五百助は駒子の罵声を背に受けて取るものも取りあえず家を飛びだすと、世間の風に押し流されながら、やがて国鉄(現・JR)中央線沿線の神田川に架かるお茶の水橋の下の掘っ立て小屋に暮らすようになる。そう、現在ではどこでも見かける社会現象となったホームレスの人々の仲間入りをしたのだ。
かくして、五百助と駒子はそれぞれに自由をめざす冒険へと旅立ち、これまでの窮屈な生活では味わえなかった日々を満喫するのだが、いつしかそれも色褪せていき、どちらともなくヨリを戻そうとする成り行きに。果たして、ふたりは束の間の “自由学校” で何を学んだのだろうか? と、それから70年余の歳月を経て、高みの見物で論評している場合ではあるまい。実のところ、われわれだって、いまだに五百助と駒子の愚かしさから一歩も出ていないかもしれないのである。あらためて冒頭の問いかけを繰り返そう。
わたしは自由に生きているのか?