アナログ派の愉しみ/映画◎ヴィスコンティ監督『家族の肖像』

この映画に描かれた世界と
極東の島国との距離は


谷崎潤一郎の老年の性が『陰翳礼讃』(1933年)の風土にあったとするなら、さんさんと陽光が降り注ぐイタリアでそれを凝視したのはルキノ・ヴィスコンティだろう。

晩年の映画『家族の肖像』(1974年)では、人間嫌いの老教授がローマ市内の豪邸に「家族の肖像」と呼ばれるイギリス絵画のコレクションを飾ってひっそりと暮らしている。そこに傍若無人な伯爵夫人が娘と婚約者を伴って押しかけ、さらには学生運動家くずれの美貌の青年(ヘルムート・バーガー)まで連れ込んで、老教授の平穏な日々を破る。が、いつしか青年とのあいだに密やかな交流が生まれて、かれが不慮の死を遂げると、老教授も死の床に身を委ねた……。

血栓症の発作から奇跡的に復帰した70歳近いヴィスコンティには、死を前にして自分とこの老教授を重ねる思いがあったろう。さらには、自分の愛人ヘルムート・バーガーを相手役に配したことで、おのれの内面の描写も目論んだのに違いない。ホモセクシャルのひと言では捉えきれない、もっと繊細で、もっと透明で、しかしとめどなく不毛な老年の性のありさまの。

それを体現する主人公の老教授は、実に至難の役ではないだろうか。扮しているのはバート・ランカスターだ。ヴィスコンティ作品へは『山猫』(1963年)につぐ2度目の登場となったこの俳優が、それまでに演じてきた役柄をピックアップしてみよう。

不倫中のアメリカ陸軍曹長(『地上より永遠に』1953年)、西部の無法者(『ヴェラクルス』1954年)、名保安官(『OK牧場の決斗』1957年)、アメリカ海軍の潜水艦副長(『深く静かに潜航せよ』1958年)、エセ宣教師(『エルマー・ガントリー』1960年)、ヒットラー政権下の法務大臣(『ニュールンベルグ裁判』1961年)、殺人犯で鳥の研究者(『終身犯』1962年)、シチリアの没落貴族(『山猫』)、レジスタンスの鉄道員(『大列車作戦』1964年)、正体不明の男(『泳ぐひと』1968年)、シカゴの国際空港支配人(『大空港』1970年)ケネディ大統領暗殺の黒幕(『ダラスの熱い日』1973年)……。

どうだろうか? これだけ性格の異なる役柄を演じのけた俳優を、わたしは他に知らない。ニューヨーク体育大学を中退後、サーカスの空中ブランコ乗りから映画界に転じたランカスターは、アカデミー賞主演男優賞を受けた『エルマー・ガントリー』の饒舌な偽善者のように、とりわけ過剰なエネルギーの発散を持ち味としていた。そして、60歳となったランカスターに対し、半身不随の監督は車椅子から、そのエネルギーを封印し、多様な役柄への適応力をあえて圧殺することを求めたろう。ことさら演技らしい演技はなく、突然の闖入者にうろたえるばかりのデクノボウの姿から、老年の性が夢見た「家族の肖像」を現出させたのだ。

ヴィスコンティは、雑誌『ラバン・セーヌ』1976年6月号のインタビューでこう語っている。

「私は、バート・ランカスターが演じてくれた教授という人物をとおして、私自身の世代の知識人の社会へのかかわり方とその責任、その意志、そしてその敗北という結果――つまり、文化、というものの寓意をこの作品で問うてみたかった。教授にあらわされるひとつの階級とひとつの時代――私自身のものでありますが――を表現する機会を、私はこの映画に見出したのです」

『家族の肖像』がヴィスコンティ没後の1978年に日本で公開された際、わたしも神保町の岩波ホールへ駆けつけた。まだケツの青い学生の身には睡魔との闘いがのしかかったけれど、この映画をきっかけにときならぬヴィスコンティ・フィーバーが世を席巻した記憶は鮮やかだし、半世紀近くが経過した現在もその余韻が響いているのを感じる。しかし、いま改めて観返してみて、この映画に描かれた世界と極東の島国とのはるかな距離は、当時から一歩も縮まっていないと思う。


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