アナログ派の愉しみ/映画◎工藤栄一 監督『十三人の刺客』
暗殺団の首領は
そのとき「地上げ」を命じた
工藤栄一監督の『十三人の刺客』(1963年)は恐ろしいチャンバラ映画だ。それは、13人対53騎という非対称の抗争劇が、黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)以上のリアリズムで描かれたことだけが理由ではない。モノクロームの映像内に留まらず、現代の日本社会に生きるわれわれに対しても背後から切っ先を突きつけてくるような、ただならぬ気配を漲らせているからだ。
江戸時代末期の弘化元年(1844年)、ときの将軍・徳川家慶の異母弟にあたる明石藩主・松平斉韶(菅貫太郎)は暴虐非道の振る舞いが目にあまり、藩の家老が切腹して直訴におよんだものの幕府は不問に付するしかなかった。しかし、水面下では筆頭老中の土井大炊頭(丹波哲郎)がひそかに腹心の目付・島田新左衛門(片岡千恵蔵)を呼びつけて斉韶暗殺を指嗾する。およそ生還を期しがたい仕事のために新左衛門はさっそく同志を集めて準備に取りかかり、一方で明石藩江戸藩邸詰の重鎮・鬼頭半兵衛(内田良平)はかれらの動きを察知して画策をめぐらす。やがて、斉韶が参勤交代で国元へ向かう中山道の道中が攻防戦の舞台となって……。
その戦いのしつらえが異様なのだ。江戸郊外の渡し場で待ち伏せ襲撃が失敗したのち、首領の新左衛門は美濃国の落合宿での決戦を目論み、早馬で先まわりすると、自分の手足として使っている甥の新六郎(里見浩太朗)にこう命じた。
「一宿ことごとくを買い取ってくれぬか」
そのために、落合宿で暮らす75軒に1軒あたり50両、総計3750両を支払うという。現在の額面ではざっと5億円ぐらいだろう。むろん黒幕の資金があってのことで、新六郎はさっそく名主と掛けあって合意が成り立つなり、住民をすべて退去させて暗殺団が占拠する。かれらは宿場全体にさまざまな仕掛けを施して要塞に仕立てあげ、明石藩一行をここに追い込み袋のなかのネズミ状態としたうえで、戦闘人数の劣勢を撥ね返して殲滅しようという寸法だ。こうした戦術をわたしは時代劇で目にしたことはないけれど、現在の日本社会では珍しくないやり方だろう。そのとおり、「地上げ」である。
この映画が撮られたのは、戦後の高度経済成長のまっただなかのタイミングだった。六〇年安保の混乱後、岸信介内閣のあとを襲った池田勇人内閣は「所得倍増計画」を掲げて、テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」に鎮座し、初めての東京オリンピック開催(1964年)を間近にして、東海道新幹線や各地の高速道路などの交通網が整備され、ホテルやオフィスビルの高層ビルが林立するという事態がやってきた。こうした状況のもとで「地上げ」はダイナミックな経済活動を反映し、当時の観客にとって未来への希望を掻き立てるものだったに違いない。
しかし、それから半世紀あまりが経過した今日、もはや「地上げ」はごく月並みな営みとなり、周囲を取り巻く街の風景もついぞ馴染みのないものへとせわしなく移り変わっていって、気づいてみれば日本列島がまるごと仕掛けだらけの要塞と化してしまった観さえある。いや、目で見て指で触れられる対象ならまだ折り合いもつけられようが、それ以上に真偽不明のネットの情報空間が築いた要塞にすっかりがんじがらめにされて、まさに袋のなかのネズミよろしくせっせと刀を振りまわしているのがわれわれなのかもしれない。そんな迷える姿をあからさまに暴いてみせたのが、この『十三人の刺客』だと思う。
クライマックスでは、明石藩一行と暗殺団のだれもかれもが要塞に閉じ込められ、敵味方入り乱れての血なまぐさい死闘が繰り広げられる。しまいには、悪逆の藩主・松平斉韶もあっけなく斃れ、宿敵同士の島田新左衛門と鬼頭半兵衛もたがいに刺し違えるようにして息絶える。そこにはもはや勝ちも負けもない、生命ある者どもがことごとく無明の闇に沈んでいくばかりだ。ラストシーンは、ただひとり落合宿を逃れることができた明石藩の家臣を映しだす。かれは畑をさまよいながら天に向かってひたすら笑いつづけ、正気を失っていた。
恐ろしい映画である。