アナログ派の愉しみ/音楽◎ウォルトン作曲『弦楽のための2つの小品』
天衣無縫の
アウトサイダーのマジック
このささやかな曲を聴くたびに、ことによると自分は善人かもしれないという気がしてくる。たとえふだん心が波立ち濁っていたとしても、その奥底にはどうやら澄み切った領域があるらしい……。20世紀イギリスの作曲家ウィリアム・ウォルトンによる、フォルスタッフのための音楽『弦楽のための2つの小品』だ。
サー・ジョン・フォルスタッフは、劇聖シェイクスピアが世に送りだした登場人物のなかでもとりわけ観衆の喝采を博してきたろう。他のあまりにも有名なハムレット、オセロー、リア王、マクベス、シャイロック、ロミオとジュリエット……といった面々がいずれも八方塞がりの宿命に呪縛されてあえいでいるのに対し、フォルスタッフはそうした宿命なんぞ蹴飛ばして、でっぷり太ったからだで大法螺を吹き、カネと酒と女をこよなく愛して悪びれることなく、堂々とわが道を往く。いかにも豪放磊落が手足を生やしたようなキャラクターだ。そのフォルスタッフが初めてお目見えした『ヘンリー四世』第一部(1596~97年)では、若いハル王子(のちのヘンリー五世)とつるんで放蕩三昧の日々を送りながら、高貴な身分の相手にぬけぬけとこんなセリフを吐く。松岡和子訳。
フォルスタッフ「お前のせいで俺もずいぶん悪くなったよ、ハル。神よ、この男の罪を許したまえ。お前と付き合う前の俺は純粋無垢だった、それが今じゃ、正直言って、罪深き者の仲間入りだ。こんな生活は改めねばならん、改めるとも。改めないなら、俺は悪党だ。俺だって地獄落ちはごめんだ、いくらキリスト教国の王子と道連れでもな」
なんと不遜なもの言い。世が世なら不敬罪で首を斬られかねないだろう。ところが、一説ではあろうことか、ときのエリザベス女王が舞台を見てすっかりフォルスタッフに入れあげて「あの男に恋をさせよ」との命令が下され、そのおかげで急遽、シェイクスピアは喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』(1597年)を書き上げたと伝えられている。向かうところ敵なしのフォルスタッフならではの、神業のマジックと言ったらいいか。
しかし、そんな勝手気ままな無頼漢も、ハル王子の即位にあたってあっさり縁を切られてしまい、新しい王のフランス遠征を描く『ヘンリー五世』(1599年)には、かれの孤独な死のエピソードが挿入されている。この劇を、不世出のシェイクスピア俳優、ローレンス・オリヴィエが監督・主演を兼ねて映画化したのは1944年のこと。ハリウッドに進出して、愛人のヴィヴィアン・リー(のち結婚)にスカレーット・オハラ役を射止めさせたことも刺激になったのか、戦時下の英国へ戻ると、その『風と共に去りぬ』(1939年)の向こうを張るかのようなカラー撮影のスペクタクル大作として完成させた。この映画で音楽担当のウォルトンがフォルスタッフの死をめぐる場面につけ、あとでオーケストラ曲へと独立させたのが冒頭の『弦楽のための2つの小品』なのだ。
両方合わせてほんの5分にも足りない音楽なのに、だれでも一度耳にしたら忘れられなくなるはずだ。ひとつは「パッサカリア:フォルスタッフの死」と題されて、スペインのギター音楽由来の囁くような旋律で哀しみが告げられる。もうひとつには日本語の訳で「やさしき唇にふれて、別れなん」と詩的な題がつけられているが、シェイクスピアの原作から引用すると、フォルスタッフの最期を看取った居酒屋の女将が、フランスへ一兵卒として出発する夫ピストルとこんなセリフを交わすときに流れるものだ。
ピストル「あのふっくらした唇に触れて、それから出陣だ。財布の紐は締めてかかれ、家を守って出歩くな。これは命令だ」
女将「元気でね。さよなら」
まったくもって平凡な、庶民のありふれた会話でしかない。こうした場面のためにつくられた弦楽による無言歌がたんに登場人物の心象風景を表すばかりでなく、映画を眺めるわれわれ自身の心の奥底も照らしだしてしまうとはどうしたわけだろう? そしてもし、束の間であれ自分の優しさに気づくことができるとしたら、これも天衣無縫のアウトサイダー、フォルスタッフがはるか後世の今日にもたらしたマジックなのかもしれない。
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