アナログ派の愉しみ/映画◎デヴィッド・ヴェンド監督『帰ってきたヒトラー』

第二次世界大戦の終結から79年――
ヒトラーはいまも生きている?


今年(2024年)5月の第二次世界大戦の対ドイツ戦勝記念日にあたり、ロシアのプーチン大統領とウクライナのゼレンスキー大統領はふたたび、たがいに相手をナチス呼ばわりして激しく非難しあった。どうやら大戦の終結から79年が経過したいまなお、ヒトラーの亡霊は人間世界に取り憑いているようだ。

 
そうした事情をあからさまに暴いてみせた映画が存在する。ドイツのデヴィッド・ヴェンド監督が手がけた『帰ってきたヒトラー』(2015年)だ。原作はテメール・ヴェルメシュの風刺小説。

 
大戦末期のベルリン陥落に際して総統官邸の地下壕で自殺したはずのアドルフ・ヒトラーが突如、当時の軍服をまとったまま、メルケル政権下のドイツに姿を現す。おつむのイカれた人物か、大向こうウケを狙う芸人か、と市井の人々は相手にしないが、本人はあくまで真剣そのもの。やがて視聴率の低迷にあえぐテレビ局が目をつけて、良識ある一部関係者の反対を押し切って大々的にプロモーションすることに。かくて、この人物がバラエティ番組で「この国はなんだ! 子どもや老人の貧困、おびただしい失業者、そして、過去最低の出生率……。無理もない、だれがこの国で子どもを産みたがる?」とまくしたて、「ドイツは奈落に向かってまっしぐら。二度の世界大戦に敗北したときよりもひどい。いまこそ、この私が建て直そうじゃないか」とこぶしを振りかざすと、視聴者たちは拍手喝采を送り、たちまちネット上でも拡散して大ブームとなる。まさにブラック・ユーモアの光景だろう。

 
だが、ブラック・ユーモアを言うなら、実はその先にある。映画では上記のストーリー展開と並行して、ヒトラーを演じた主役の俳優(オリヴァー・マスッチ)がナチス総統の扮装のままで人々と語らうドキュメンタリーが映し出されるのだ。ざっと9か月間にわたってドイツ各地へ出向いて撮影が行われたという。そこには薄ら笑いを浮かべてからかう若者や、ここから出ていけと怒りをぶつける老人も見られるけれど、たいていの人々はヒトラーと瓜ふたつの人物の到来を受け入れて、しきりに政治不信の声をあげ、とりわけその矛先が海外からの移民に向かうとかまびすしい。圧巻なのは、ネオ・ナチの団体本部に堂々と乗り込んでいって代表者を叱咤したあげく、相手に「あなたがホンモノならついていく!」と応じさせる場面だ。紛れもなく現在進行形の政治ドラマのヒトコマだろう。最後に、かれの「私は人々の一部なのだ、だれも私から逃げられない」との宣言をもって結ばれるとき、この映画はもはやコメディではなく戦慄のホラーと言うにふさわしい。

 
それにしても、とわたしは疑う。第二次世界大戦の終結から今日まで、ヒトラーほど頻繁に映画に登場した政治指導者はいないだろう。ルーズベルトも、チャーチルも、スターリンも、毛沢東も、あるいはガンジーやケネディであっても、ことこの点において史上最悪の独裁者のひとりの足元にとうていおよばず、もしかすると、この先もスクリーンの上ではヒトラーだけが突出した存在として君臨していくのかもしれない。

 
だとするなら、いまだにヒトラーに呪縛されているのはプーチン大統領やゼレンスキー大統領にかぎらないはずだ。かく言うわたし自身もまた、ヒトラーがテーマの映画がやってくるたびに胸騒ぎして足を運んでしまう、その胸中の仕組みをまず見きわめることからはじめなければ――。

 

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