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労働価値説と交換価値の一尺度⑤〜経済学原理第二章第四節〜

 マルサスはこの章で、この世に存在する商品の多くは、地代をなくすことが不可能だと主張した。だが第4節の147ページに、これまた難解な文章がある。「もし地代をまったく否定して、いっさいの貨物の価格を賃銀と利潤とに分解する学説は、独占となんらかの関連をもつ物品にはけっして関説するものではない、といわれるならば、この例外はわれわれの知っているひじょうに多くの物品を含んでいると答えることができよう。穀物のおもな供給を与えてくれる土地は、普通の独占とはちがった法則と限界とをこうむっているけれども、明らかに独占の一種である」(小林時三郎、1968年1月16日、マルサス経済学原理上、P147)と書いてあるが思うに、その「例外」は実際にたくさん存在する独占的といえる物品のことで、それが世の中にあるのだから、地代を全て否定した学説は誤りということになる。しかし穀物を生産するだけで、独占の一種になってしまうのか今一よくわからない。土地における穀物生産の独占なのだから、「土地を持っている者でなければ穀物は作り出せない=限られた特定の者が他の競合相手を排除して、生産をコントロールしている」という意味なのかもしれない。

 次の148ページを読むと、商品の生産費は、賃金と利潤、地代から構成されるという主張が展開されている。これら3つを確保するために必要なものは、あえて一語を使用するならば、「労働」でなく「資本」の方が妥当だとマルサスは述べる。先払いした資本は、最初から最後まで労働者に支払われた賃金、地主に直接渡した地代か、もしくは原料の値段で渡した地代の3つから構成されている。というのも、多くの地代は先払いではなく後払いである。商品価格の上昇と下落で決まるから後払いが多い。だから先払いされる場合はおそらく、原料の値段で先に渡して、価格が上がったときは追加で支払い、下がったときは、いくらか返してもらったというパターンもありえるだろう。後払いの資本も必要になっている。リカードはこれに対して反論している。彼によると、「同等の資本がほとんど同じ価値の商品を生産するなら、マルサスのその主張は正しい。しかし、同等の値段である人間の労働と蒸気機関などの機械を比較したら、そこで作り出される商品は極めて異なっている。だからその論述は不確かだといえる」とのことである。

 150ページの章句は解読するさらに困難といってよい。このページには、「これはおそらく真実でないであろうが、改善されかつ人口稠密な国において直接にはなんの地代も支払わない土地があると仮定しても、しかも地代は、このような土地の耕作者によってさえも、かれの鋤、荷車、および建物のためにかれが用いる材木、馬具のためにかれが必要とする皮革、かれ自身の家庭で消費する肉、およびかれが耕作のために買い入れる馬の形で、支払われることであろう」(小林時三郎、1968年1月16日、マルサス経済学原理上、P150)という極めて飲みこみ難い内容になっている。
 改善されて人口が稠密になった国というのは、農地や農場の改良が十分進み、人口の増加によりその密度が極めて高い国だと想定できる。しかし、「地代が直接にはなにも支払われない土地」というのは一体どういう意味なのか?直接的な地代=紙幣や硬貨、信用貨幣といった物品貨幣ではないものを使った支払いで、間接的な地代=物品貨幣での支払い、物品などの有料貸出しなのだと考えていいのかもしれない。それと、「これは恐らく真実ではない」と述べているのだから、直接的な地代ではなく間接的な地代を支払うケースは実在しても稀だと思われる。マルサスはこのページにおいて、農産物の価格は地代によって影響を受けるとの主張をしている。しかし彼は、「地代は農産物の高い価格の原因にはならない。結果として発生するのが地代である」とも主張しているので矛盾がある(私が矛盾しているように思っているだけかもしれないが、それはそれで興味深い)

 各商品には、それを作るために相応の労働量が必要だが、マルサスはその正確な分量を知ることに強い関心を持っていた。本書の「経済原理」が発行された47年後にカール・マルクスの資本論が世に出る。マルクスは商品に含まえる労働量(労働時間)は、学術的な分析で決める場合はあくまでも、社会の標準的な労働の効率と生産に必要な手段で決まると主張した。つまりは、仕事が下手かもしくは怠ける者や、一部の常人離れした多くの労働をこなせる者はそこから除外される。また、生産手段とは機械や道具、原材料が該当するが、効率性が高いものが十分に普及すればそれが標準的になる。
 マルサスは他国のある商品が自国のものに比べて倍の労働量がかかった場合、もしくは自国でも大昔は倍の労働量がかかったと想定しても、その商品が、今の自国のもの倍の価値があると推測はできないと述べた。また、ある商品に比べて別の商品価格が倍だとしても、その労働量に倍の差があると推測するのも危ういと考えた。ようするに、これを上手く理論化して説明したのが、後のマルクスの資本論だった。