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100年経ったら何が残る?♯16

過去に2回、アジアとアフリカのとある国の学校建設プロジェクトに参加をした事がある。

学校の建設が終わると、最後に出資者の名前が刻まれたプレートが設置された。

もちろん名前を残さない匿名での寄付を希望する方もいたが、私は名前を残していただいた。

ローマ字で書かれた自分の名前は、今後数十年は残るだろう。

今回の寄付は、利己的で見栄っ張りな私には都合が良かった。

わざわざプレートに名前を残して承認欲求が満たされて、自己満足を味わいたかったのだ。

このブログだって、承認欲求の為に書いている。

しかしたとえそう思われても今回の学校建設で(小学校、幼稚園、トイレ、井戸、そこで働く先生へのサポートを含めて)、確実に現地の子ども達の為になったはずだ。

子育てとは、未来へ向けた投資だ。
子どもが学識のある大人になり、なんならかの生産活動をすればその地域が少しでも豊かになる。

私の名前が刻まれたプレートは50年後に朽ち果てるかもしれない。
だが私がサポートした子ども達やその家族が100年先の未来で少しでも豊かさを享受できたら嬉しい。

たとえ自己満足であっても、
今から100年後に残る仕事は、偉大な仕事だ。

もし明日私が死んでも、母親や父親、親友、最愛の人はどうか悲しまないで欲しい。

私は、生き切ったのだ。
後悔はない。

私は偉大な仕事をしたのだから。

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