未来のわたしに Memorandum
週のはじめの明け方、
まだ覚醒しきらない頭で、
なんとなく的を得たことを思いました。
「頭って、思考の考えることって、小さい」
よく言われているのは、
顕在意識(今、考えている自分、これが個だと思っている自分)は、
氷山の一角で、潜在意識(リトルのサイド、いのち)は想像すらできないほど、大きく可能性のかたまりであるということ。
以前の記事にも書きましたが、
頭(思考)が邪魔しているブロックを外してあげると、
からだはそれに応えてくれて、
魔法のように痛みをとってくれたりします。
(今回膝の痛みだった)
何回も何回も、
セラピーの先生に、
「いのちであるからだについては、思考(頭)の領域でない」
と言われて、なるほどと納得しても、
奥底まで落ちていなかったのだと思う。
その朝、ぼんやりと寝たままで、
ああそうか。
いのちの部分に、
我がもの顔のこの「思考」は出る幕ない、
権限がないんだ、
と、すっと深いところで理解できたのでした。
不思議な朝。
だとすると、
この「からだ」は「思考」のものではなく、
リトルサイドの領域だとしたら、
たとえば、
「太っている」「団ごっぱな」「もっと足が細かったら」「もっと小さかったら」
とか、
もっともっともっと!
もっと違う外見、要素!
は、
大変失礼な話ではないか!
と、いきついたのです。
100%、思考のものではないのに、
ありがたく意志に従って動いてくれているからだに対して、
おまえはイマイチ、と文句を言うなんて。
なんだか、
「はぁぁぁ」
と、濃いため息がこぼれ落ちた朝でした。
その深く納得できた日の午後。
わたしは黒の厚底のグルカサンダルをはいていました。
厚底なもんで、身長がゆうに170cmを超えています。
もう身長が高いことに昔ほど気にしなくなりましたが、
わたしの後ろを歩いていたデリカシーのない会社のおじさんに笑いながら言われました。
「あれれ、カイトさんってそんなに大きかったっけ?」
「なんかたくましいっていうか、壁というか、頼りがいあるっていうか」
にこにこ笑いながら、悪気なく言い放ちます。
(いますよね、こういう人)
わたしは若い頃を思い出しました。
体型に関わることを指摘されると、
すごく傷ついて、しばらく引きずっていたなぁと。
ノースリーブ着ていたとき、後姿をたくましい水泳選手みたい、と言われ、
傷ついてそれ以後ノースリーブを着なくなりましたが、
(水泳選手に失礼だろうよ、、、)
その傷ついた気持ちは、リトルの気持ちそのものだったと、
今は思えます。
「なんで?なんでわたしはダメなの?」
リトルに申し訳なくって、泣きたいような気持ちになりました。
わたしはおじさんのはなった言葉に不思議とまったく傷つかず、
笑いながら言いました。
「そうでしょ、頼りがいありそうでしょ、でもね、それ若い女の子に言ったらダメですよ。無邪気に人を傷つけたらダメですよ」
と。
え~!それ傷つくの!?傷つく要素ないんだけど、とおじさん。
悪気、ほんとに一切ないのね、、、
わたしは苦笑いを浮かべました。
ねぇ、リトルカイト。
今回まったく傷つかなかったのは、
朝の大きな気づきがあったからかな?
もしくは、あーちゃんと、毎朝ほめたたえあえてる恩恵かな?
いずれにしても、
思考のわたしはすぐに忘れてしまうから、ここにノォトしておくね。
あなたは物体をもたない意識であり、
よく丹田の下あたりにその意識はあると言われているけれど、
それが今朝はつくづく実感でき、
思考(頭)が考える浅はかなことも筒抜けなことが恥ずかしいのよ。
なんて思うと「キュウ」と腸が鳴ってくれるから
さらに不思議。
こそばゆくて笑ってしまうから、
お願い、やめて。
腸は第二の脳とはよくいったものですね。
舌の根も乾かないうちに。
金曜日、商談があっておしゃれな本社棟に暑い中移動してました。
偶然見た、本社棟の大きな窓にうつるわたしの横向きの姿が、
若干厚みがあるなぁ、もうちょっと痩せたいなぁ、と
無意識に文句を言っていました。
繰り返しますが、舌の根も乾かぬうちに、です!
その直後、段差に足をとられて右足軽く捻挫、、、笑。
リトルは、からだをはって、いつも教えに来てくれます。
ごめん、リトル。
自分を責めているわけじゃなく、
頭って思考って、ほんとにポンコツだなぁと、
苦笑いしかない出来事でした。
備忘録