『嫌われる勇気』
本を読んで変化したこと
今回要約する本は岸見一郎さんの書かれた『嫌われる勇気』という本です。
とても有名な本なので、本好きな方なら一度は読んだ本かもしれません。
売れた本というのはやはり意味があるのだなと思っています。
この本には人生を変える力があります。
私自身この本を何度も読み、人生が大きく変わったと思っています。
前回のエピクテトスさんの本とも通じる教えなのですが、この本の本質は「自由に生きる」教えが書かれていることです。
それは、相手の問題と自分の問題との境界線を引く知恵を身につけ、自分の課題に対して向き合っていくことです。
そう言われてしまえば、とても簡単なのですが実行がとても難しいのです。実際この教えを実践するには生きた年数の半分が必要だと言われているようです。
何故か、それは痛みを伴うからに他なりません。
その痛みに伴って初めて得られる自由が存在します。
要約
目的論と原因論
アドラー心理学ではトラウマを否定します。
自分は過去あんなことがあったから、今こんなにも苦しんでいると思う。
これはほとんどの人が考えていることです。
しかしアドラーさんは、その考えを否定しています。
つまり、
トラウマがあって今の自分がある、というのではなく、今の自分の目的があり、その目的を叶えるためにトラウマを作る
と考えます。
今はやりの?親ガチャを聞いたらアドラーさんは完全否定しますね(笑)。
例えば、自分が恋愛で上手くいかないのは、両親がどく親だったという人がいます。
それは、自分が相手との恋愛において傷つき、自分というこの世で最も尊い存在を否定されるのが怖いのです。そして、その目的を叶えるために、両親がどく親だったことは丁度良いのです。
そう言ってしまえば相手は何も言えません。自分が少し特別な存在であるようにも思えます。
私はこの「親ガチャ」という言葉は凄く時代を反映している言葉だなと思います。つまり、みんな国民が幼稚化していると思うんです。
ホワイトな会社にしてほしいけど、ホワイト過ぎは飽きるから嫌。
人間関係はすぐに切る。
など
そうした与えるより貰うことを考えている人の声が親ガチャを作り出しているなあと・・・・
劣等コンプレックス
劣等感は人間誰しも持ち合わせているもので、それ自体は悪いものではありません。健全な劣等感が人類を進化させてきました。
目標に向って進み学び、努力する。これはとても素晴らしいことです。
でも、この劣等感は暴れ馬みたいなもので、乗りこなせば名馬といえますが、大概は振り落とされてしまいます。
アドラー心理学は、劣等感を言い訳にしはじめた状態を「劣等コンプレックス」と言います。
スーパーに売っているゴーヤがもし「俺は苦いからダメなんだ」と言っていたら、どう思いますか?
「ゴーヤチャンプルが美味いから苦くあってくれ」と思いますよね?(笑)
大切なことは「一般的にはゴーヤは苺などより人気がないが、ゴーヤが苦いことは野菜の中で劣等性ではない」ということです。
自分の身体や過去になにか劣等コンプレックスを持っていても、それが劣等性に繋がるかは、正に本人の色メガネが決めることであって、他人に握られていることではない。と思えるかどうかということですね。
劣等コンプレックスは縦の関係から生まれます。そこに入ってしまった途端、人生が苦しみに変わります。
なぜならアドラー曰く、ある関係において縦の関係で見ている人間は、全てにおいて縦の関係で見ているから。です。
全て比較して上下関係で見ることになるから、「この人は自分より上だ」「この人に評価されたい」「部下には威張っていたい」となってしまう。これは生きることが苦しく、自由からは遠い生き方です。
お釈迦様はこの心を慢の心と言って、人間の煩悩の一つであると言っています。
私は横の関係で捉える訓練をし続けることが大切だと思います。
普通に生きて、勉強しないでいたら、よほど幸福な環境で育たない限り確実に縦の関係を植え付けられてしまいます。
まず、自分から横の世界を広げていきたい。
会社は上下関係を学ぶところだという信念がある上司には嫌われるだろうけれど。
課題の分離
私がこの本を読んで一番人生に生きたと思うのは、課題の分離です。
読んでからかなり時間が経っていますが、くり返し振り返りながら、やはりこれも少しずつ体得できるようになってきました。
相手にどう思われるだろう?
こう思った時、上の文章が頭をよぎります。
ただ、これは自分勝手に生きるという意味と解釈する危険性があります。
アドラーの教えを間違って中途半端に理解してしまうと、逆に子供な人間が増えていってしまいます。
例えば仕事において、相手にどう思われていいやと考えて仕事を最後まで終わらせないなど、相手に迷惑をかけていることを、課題が分離できていると思われたら、社会が成立しません。
これに対する私の答えは「志」を持つ事です。
仕事をしている時、この仕事で私はどうしたいのか、誰を幸せにしたいのだろうか。製造業だったらこの製品を世に生み出すことで、社会を幸せにしたい。研究者だったら、この研究が上手くいけば多くの人が救われる。
そんな大きな事でなくても、仕事には必ず社会の人を幸せにするという側面が存在する。
そのことを根底において、その目的を達成するためであれば、しっかりと課題を分離し、積極的に嫌われても良いし、むしろそうでなければこの課題の分離はできないのかなと思っています。
自分にとって本当に大切で達成したいことが分かっていなければ、捨てるということはできません。
共同体感覚と他社貢献
私は寄付をすることと、陰徳を積むことが、本当に大切なことなのではないかと思っています。
こんな場所で言うことではないかもしれませんが、私の人生はこの2つによって大きく変わりました。
内面にも生活にも、(おもに仕事において)大きな変化が起きています。
その答えは、「共同体感覚」にあると分かりました。
だから、始めに宇宙や世界は繋がっているなどと言われても理解できなかったのは実践していなかったからだと今は分かります。
私よりもっと理解している人からすれば、きっと全く理解できていないのでしょうが、この「与える」ということの入り口に立てたことが、このアドラー心理学の理解が進んだきっかけになったと思っています。
寄付ではなくても、自分のお金は人を幸せにしているだろうか。株に投資するときでも、この会社を応援することで社会がどうなってほしいのだろうか。そんなことを考えて日常生活で出会う人達にできるだけ与える生き方をしたい。そう思う様になってから、これまでと同じような生活をしているはずなのに、明らかに私の世界は変化しました。
人知れず良い事をする、そしてそれを知られない。これは、必然的に組織の視点に立つことになります。
なんとなく、気持ちがよくなって、自分で自分を認められる。
そうすると、周りの目を気にして、今までできなかった人への親切が堂々とできるようになりました。
人に貢献することに後ろめたさが無くなったのは、きっと、見ていてもみていなくても、親切にできる、他者に貢献できる、という自分への自信がついたからです。二面性がなくなってきからだと思っています。
そのことで仕事の本質もこれだったのかと気付けました。
仕事の本質は他者貢献であり、共同体感覚を知るために最高の機会だったと思えたら、辛かった仕事が楽しくて、周りの態度も変わってきました。
これからもっと、大きくなって、世の中を良くし、次の世代につなげていきたい。
これがアドラーさんが本当に言いたかったことなのかもな。
自分にできることからやっていこう!
あなたが変われば世界は一変するのだから!
まとめ
もし記事良いなと思ったら良いねくれると嬉しいです。
承認欲求が満たされるし、優越コンプレックスが満たされるからね!
(冗談ですよ!アドラーに怒られる笑)
長かったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました(^_^)