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ホモ・デウスに出てくる”霊的な旅”という言葉と私の生き方・人生の価値観について


プロローグ・本書の紹介

2018年に日本語版が出版された「ホモ・デウス」という本を読んだことがあるでしょうか。

ユヴァル・ノア・ハラリさんというイスラエル出身の歴史学者が書かれました。

人類史・歴史学の観点でこれからの私たち人間がどうなっていくのかを考察しています。


”霊的な旅”という言葉

この本の終盤(P227、第5章第2節もしブッダに出会ったら)に”霊的な旅”という言葉が出てきます。

この言葉の意味を理解した時に私自身の生き方・人生の価値観を的確に表しているなと思い、この言葉について書いておこうと思いました。

きっと皆さんの中にもピンとくる人がいると思います。

この”霊的な旅”という言葉は一見してなんだかスピリチュアルなように見えますが(言葉の成り立ちは少しそうです)、実際の意味はかなり現実的なことを表しています。

成り立ちは、現代宗教との対比や古代の二元論宗教の名残りなどからなのですが、それらはここで論じたい主題ではないので気になる方は本書を読んでみることを推奨します。

”霊的な旅”という言葉の意味と私の生き方・人生観

”霊的な旅”という言葉の意味は、人生という旅・人が生きるということは凡俗的で快楽的な欲求(セックス、食べ物、権力など)に囚われずに、この世界を支配している秩序や既成概念を疑い、世界の真理や本当に大切なことを探究することである、ということと私は解釈しました。

私自身を振り返ると昔から今にいたるまで、美味しものを食べたいとか、異性からモテたいとか、社会的に高い地位を手に入れたいだとかいうことに心から惹かれたり、これらが行動の源泉となるようなことがあまりありませんでした。

これらの欲求が全く無いとかではないですが、生きている中での優先度合が限りなく低いということです。

私を突き動かす欲求と行動原理

その代わりなのか、ものすごく優先度合が高く、子どもの頃から今にいたるまで心から欲している欲求があります。

それは、この世界のこともっとよく知りたい、理解したいという欲求です。

知的欲求というのか、知的好奇心がとてつもなく強いと言ってもいいかもしれません。

私の行動原理にはこの世界の真理を探究したいという欲求(いや、もはや本能と言った方が正しいかも)、がいつでも存在感大きくあるのです。

私の様々な行動は基本この欲求に突き動かされています。

例えば、究極な二択のシチュエーションだとしたら、ご飯は食べれなくても本は読みたい、誰にも会えなくても一人で考えたいことに没頭したい、安定や立場を失っても旅に出て新しい世界を経験したい、といった具合に。

これでは生物としても人間としてもすぐに終わってしまうんですけどね。笑

実際にはご飯もたくさん食べますし、人にもよく会います。

ただ、それらが私の突き動かす行動原理ではないということです。

知的好奇心からそれらの欲求を欲することはあります。
私の攻略法が分かられてしまいそうですね。笑

皆さんはどんなことが人生の行動原理でしょうか。

本文の引用

ここでいくつかの文章を本書から引用しておきますので、皆さんも考えてみてください。

※なお以下の本文を読みやすくするための補足説明として
以下本文で出てくる”宗教”という言葉の意味の中にはキリスト教などの一般的な意味での宗教だけでなく、資本主義や国家、貨幣などの私たち人間が信じている社会の秩序を統制するための現代社会一般の規範も含まれています。

”宗教が取り決めであるのに対し、霊性は旅だ。”
”取り決めは明確だからこそ、社会は人間の行動を統制する共通の規範や価値観をはっきり規定することができる。”
                                         
”霊的な旅はそれとはまったく違う。霊的な旅はたいてい人々を神秘的な道に連れ出し、未知の行き先に向かわせえる。この探求は普通、私は何者か、人生の意味とは何か、善とは何かといった大きな疑問から始まる。たいていの人が権力者が提供する出来合いの答えをそのまま受け容れるのに対して、霊性の探究者はそう簡単には満足しない。彼らは大きな疑問に導かれるままに、よく知っている場所や訪れたい場所だけではなく、どことなりとも行くことを固く決意している。だから、ほとんどの人にとっては、学業は霊的な旅ではなく取り決めだ。なぜなら、年長者や政府や銀行に承認された、あらかじめ定められた目標へと私たちを導くからだ。「四年間勉強して試験に受かり、学士号を取得して、給料のいい職を確保しよう。」という具合に。ただし学業は、途中で出会った大きな疑問のせいで道を逸れ、最初はろくに想像すらできなかった予想外の目的地に向かうことになれば、霊的な旅に変わりうる。”

同著P227

”魂と肉体の二元論による肉体の喜びの最たるものが、食べ物とセックスと権力だ。”
”魂は肉体から肉体へと転生し、食べ物とセックスと権力を追い求めて月日を無駄にする。”
                                        
”この二元論の遺産のせいで、俗世界の慣習や取引を疑って未知の目的地に厳然と向かう旅はみな、「霊的な」旅と呼ばれる。”
”そのような旅は宗教とは根本的に違う。なぜなら、宗教がこの世の秩序を強固にしようとするのに対して、霊性はこの世界から逃れようとするからだ。霊的なさすらい人にとって、とても重要な義務の一つは、支配的な宗教の信念と慣習の正当性を疑うことである場合が多い。”

同著P228

”宗教にとって、霊性は権威を脅かす危険な存在だ。だから宗教はたいてい、信徒たちの霊的な探究を抑え込もうと躍起になるし、これまで多くの宗教制度に疑問を呈してきたのは、食べ物とセックスと権力で頭がいっぱいの俗人ではなく、凡俗以上のものを期待する霊的な真理の探究者だった。”

同著P229

”歴史的視点に立つと、霊的な旅はいつも悲惨だ。社会全体ではなく、個々の人間にだけふさわしい、孤独な道のりだからだ。人間が協力するには確固たる答えが必要で、疑問ばかりでは足りない。だから、無用になった宗教構造にいきり立つ人々は、それに取って代わる新たな構造を作り出すことが多い。”

同著P230

エピローグ

本節の中では霊的な旅人の例として、カトリックに異議を唱えプロテスタントを生み出したマルティン・ルター、ユダヤ教に異議を唱えキリスト教を生み出した(厳密にはその弟子たちですが)イエス・キリスト、ヒンドゥー教に異議を唱え仏教を生み出したブッダが挙げられています。

皆さんの中に自分の行動源原理を考えてみて、自分も”霊歴な旅”のような生き方・人生の価値観だ!と思った方はいましたでしょうか。

いましたら是非コメントで教えてください。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。

これからもこのような人生哲学や哲学書の解説、芸術や文化、歴史などについての考察など人間を広く理解するための記事を書いていこうと思いますので、よろしければフォローしてお待ちいただけると幸いです。

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