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ビル・マーレイの竪琴

ビル・マーレイになりたい。

正確には、ウェス・アンダーソン作品に出ているビル・マーレイに僕はなりたい。

それくらいウェス・アンダーソンはビル・マーレイという役者の効果効能を熟知している監督だと僕は思っている。

まあ、ほとんどのウェス作品で、マーレイは主役ではなく、チョイ役としてしか出ていないんだけどね。

だから、マーレイ演じるキャラの詳細は映画を観ていても全然分からないんだけど、どんな作品でも、彼がまとう雰囲気は大概こんな感じ↓だ。

いつもどこか申し訳無さそうで所在なげな表情を浮かべた初老のおじさんであり、けど、なぜか必ず美人の彼女がそばにいて、でも、結局、その彼女にも振られて、さらにその八の字眉毛が下がってしまう、という・・・。

これって、いわゆる若者が憧れる?イケオジや、かつて一世を風靡した?チョイ悪親父とは対極にある

単なる頼りないおじさん

以外の何者でもないけど、そんなマーレイのたたずまいを初めてスクリーンで観たとき(確か「天才マックスの冒険」だったかな)、まだ若かりし僕は、なんだかとてもホッとしたのをいまだによく覚えている。

「ああ、そうか・・。もしかすると僕はただこのまま年を取っていくだけでかまわなくて、ちゃんとした大人になんかならなくてもいいのかもしれない」

そんな風に思えたんだよね。

そして、そんな風にマーレイおじさんに勝手に勇気づけられていた僕にとってのウェス×マーレイコンビの最高傑作は、ウェス作品で(今のところ)唯一のビル・マーレイ主演作である

「ライフ・アクアティック」である。

ただし、好きすぎて今は観ることが出来ないから、先日、ずっと大事に取っていたDVDも友人に譲ったばかりである。というか、子供が産まれてしまった以上、もはやこの映画をちゃんと直視できる自信がない、というようなストーリーでもある。

しかし、この作品を観れば、なぜマーレイがずっと八の字眉毛なのかその理由が、きっとみんなにも理解できるだろう。

いくつになっても、無邪気に、というか、わがままに自分の夢を追いかけ続けて、でも、その間に、時代に取り残さたり、大切な人たちを失ったりと、しんどい思いをたくさん体験して、そのたびに、彼の眉毛はどんどん下がっていくのだ。

まるで、今まで自分が(いいと思って)やっていたことが、もはやいいことなのか悪いことなのかすら分からない、そんな彼の当惑を表すかのようにね。

でも、往生際の悪い彼は、それでも自分の夢を追いかけることを決してあきらめたりはしない。

そのマーレイの姿をみて、周囲の人々は

「本当に懲りないしょうがないおっさんだなあ」

と呆れつつも、

「仕方がない。あともう少しだけ付き合ってやるか」

と言いながら、ずっと彼のそばにい続けるのだ。

その関係性、つまり、スペックや立場ではない、情けなさ、みっともなさ、というその人らしさでつながる関係性にもたまらなくグッとくるよね。

そして、そんなマーレイとその仲間たちの姿を見ていると、もしかすると、若いころの僕も今の若い子も、実は大きな思い違いをしていたのかもしれない、という風にすら思ってしまう。

「40にして惑わず」

なんて、ことわざがあるように、豊富な人生経験を積んだ末に、人は、いつの日か、泰然自若として威風堂々とした頼りがいのある大人になる、などと思われがちだけど、確かに、社会的に地位が高かったり、いわゆる成功者の方々には、そんな雰囲気を漂わせた人がいるのも知っているけど、それだって実は単なるポーズに過ぎないのかもしれないのだ。

つまり、

人は、いくつになっても、ずっと迷い続けて、つまらないことにグダグダ悩んで、ムラムラしたときにはオナニーだってたまにして、何となくさみしくなったときには一人カラオケを3時間も歌い続けるような

みっともなくて、おろかな生き物

なのかもしれない。※

※あくまで、個人の感想です。

でも、だからこそ、僕はそんな生き物(自分を含む)を思いっきり抱きしめたくなる気持ちになって、それがなんだかうれしくて仕方ないんだ。

そんな僕は今朝もいつものように顔を洗うために洗面台の鏡の前に立つ。

鏡に映る僕の顔は典型的なモンゴロイドでビル・マーレイとは似ても似つかないけれど、自分の眉毛の角度を見て、少しだけニヤリとする。

そう、それは「ビルマの竪琴」の中井貴一の八の字眉毛じゃなくて、なんとなくだけど、あのビル・マーレイっぽい八の字眉毛のように見えたからだ。

「これがほんとの、ビル・マーレイの竪琴・・・。」

と一言つぶやいて、

僕は颯爽と冬の街へと飛び出した。




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