ファッションは誰の為のもの?
私には、今年やっと折り合いをつけることが出来た不思議な現象がある。
中学生頃から続き、約20年かけて、やっと決着がついたのだ。
それは、毎年季節ごとにたくさんの服を買うのに、1年が経過すると着る服が一つもなくなるという現象だ。
厳密に言えば、ある。
去年も一昨年も買ったのだから。しかし、どうにも着る気がしないし、昨年どのように目の前の服をコーディネートしていたのかも分からない。
でも1年経てば流行も変わるし、私の気分も変わるのだから仕方のないことだと思っていた。
お金はかかるが、洋服ってそういうものだと思っていた。
あともう一つ、不思議だったのが洋服を買う時のテンションのピークは会計時であって、自宅のクローゼットにしまった途端、驚くほど、ときめきが失われること。
こんまりさんの片付け本では、ときめきを処分の基準とするとあったが、洋服は店にある時しかときめかないので、クローゼットにある服は全て処分対象になるではないかと思っていた。
その現象が、今年とうとう終わりを迎えた。今年はパジャマと下着以外、洋服を買っていない。
そんな現在に至るまでの、洋服(アクセサリー.バック)と私の歴史を簡単に振り返る。
【中学〜会社員時代】
とにかく流行りに乗りたい。おしゃれだと思われたい、お金があると思われたい。の一心だったと思う。
中学.高校時代は、109系のブランドのショップバックを持つことがステータスだと思っていた。
年齢がバレそうなステータスである。
大学〜会社員時代は、高級ブランドへの憧れがつのり、韓国でCHANELの偽物のバックを5万円で購入したことがある。CHANELだと思えば安いが、偽物のただのバックだと思えば高い買い物である。
大学の時、当時の彼氏にCHANELのロゴのネックレスを買ってもらった。これは本物だが確か2万円位で、大学生のバイト代でもギリギリ手が届く金額だった。CHANELのピアスも自分のバイト代で買った。こうして書き起こすと、やたらとCHANELへの執着が感じられる。
【専業主婦時代】
今までとは真逆の現象が起きる。
母親が派手なアクセサリーやバックを持つと悪目立ちすると思い、大学〜会社員時代にコツコツ集めたCHANELはクローゼットの奥にしまわれた。
「乳幼児を連れた母親がばっちりメイクしているのを見ると、その間赤ちゃんどうしてたの?と思っちゃう」という書き込みをネット上で発見し、私はメイクやおしゃれをしてはいけないのだと思い込んだ。
謎に夫のパーカーやシャツを借りて、着たりして、夫の服を着れば節約になるし、カジュアルで良いお母さんっぽいなぁーと思ったりしていた。
でも、全く好きなファッションではないので、気分は上がらなかった。
これらの時代を経て、父の死を経験してから、自分らしく生きたいと心から願うようになった。
まずは、身近なところで...とクローゼットを見回すと、自分が今までどれだけ他人の目を気にして、洋服を選んでいたのかが分かった。
それからは、とにかく自分ファーストで自分に似合うもの、着たいものを買うようになった。
年齢、属性はあまり気にしなかった。
そして、気に入らない服はどんどん捨てた。CHANELのアクセサリーも売った。
そのようにクローゼットの総入れ替え作業をして、2年。
ついに今年は洋服を買わないまま、年末を迎える。これ大袈裟でなく人生初かも。
しかも1着も買ってないのに、クローゼットの中には明日着たいと思う服が何着もある。
毎年たくさん買うのに、着る服が1着もなかった時と正反対だ。
学生〜会社員時代の自分も、専業主婦時代の自分も、洋服やアクセサリーを『周りにこう思われたい』を表現するアイテムとして使っていた。
『流行りに敏感だと思われたい』
『お金を持っていると思われたい』
『良い母親だと思われたい』
自分の内側の欲求や、自分に似合うかどうかという基本的なことを完全に無視していたのだ。
だから、すぐに着たくなくなるものでクローゼットが埋め尽くされていた。
些細なことかもしれないが、クローゼットに必ず着る服しか並んでいないというのは、想像以上に気持ちがいいし、朝の準備も楽だ。
これからも、自分の内側の声に耳を傾けてファッションを楽しみたいと思う。