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【好きな絵本】ころべばいいのに
ヨシタケシンスケ著『ころべばいいのに』
私がヨシタケシンスケさんの本が好きな理由は、くすっと笑えるとか、絵のタッチとか、そういうこともあるけれど、子供に対して、なんて言えば上手く伝わるんだろう?って思うようなことを、この絵本なら伝えられそうだなって思えること。
『ころべばいいのに』は、2年前に、現在4年生の娘の為に購入した。
今は随分マシになったのだが、1.2年生の頃の娘は心配性というのを通り越して、強迫性障害かもしれないと思っていた。
強迫性障害は、例えば「あれ?家の鍵閉めたかな?」といった誰でもある些細な不安が、些細な不安のレベルを超えてしまうものであると認識している。
「あれ?家の鍵閉めたかな?」と駐車場まで行ったけど、戻って確認した...みたいな経験は誰にでもあると思う。
これがエスカレートして、何回も確認しないと気が済まない、家族が閉めたよと言っても信用しない、家中の窓の鍵をチェックする×10回。
このチェック行為の為に、会社に遅刻する、睡眠時間が減る等、日常生活に支障が出ているのが分かっている、分かっているし本当はやめたいのにやめられない...みたいな。
一応何冊か本を読んでいるが、認識が間違っていたらごめんなさい。
強迫性障害について、説明するのも難しいし、娘がそうだったのかどうかも分からない。
診断を受けた訳ではないからだ。
ただ、当時私は本当に悩んでいたのに、相談できる場所もなく、別のことで通っていた小児病院で児童精神科を紹介して欲しいと頼んでみたけど、それも「お母さん、心配しすぎだよ」と一蹴されてしまい、どこにも頼れず参っていた。
先ほどは、鍵の話を例に挙げたが、強迫性障害でよくあるらしいのが、やってもいないことをやったかもしれない...と言い出すということ。
例えばカンニングはしちゃいけないとか、いじめはしてはいけないとか先生が強めに話したりすると、やっちゃいけないことだ!という思いが強くなりすぎて、やってもいないのに、やっちゃったかも...どうしよう?みたいな。
本当に説明が難しいのだが...
娘も、カンニングやいじめには敏感に反応していた。
それで心の中で思ってしまった悪いこと...
例えば「この子嫌いだなぁ」とか「このテスト難しいから答え見ちゃいたいな」と心の中で思ったとすると、それが=カンニングやいじめなんじゃないかと心配になり、私に「こう思っちゃったんだけど、大丈夫かな?」と1日に何回も確認する。
厄介なのは本人も、本当は心の中で思っただけでカンニングやいじめになる訳ないと分かっている。
分かっているのに、母である私に言って「大丈夫だよ」と言ってもらうまで安心出来ないということ。
「ころべばいいのに」は、心の中で色んなことを考えちゃうのは当たり前で、大人にも嫌いな人はいるし、それでいいんだよって直接言葉でそう説明するよりも、すっと心に入ってくる。
多分、この絵本を読んだから、娘が色んなことを気にしなくなった...という訳ではない。
当時、コロナ禍や、私が父の闘病で精神的に弱っていたこと等の複数要素が絡み合い、繊細な娘にとって、ストレスとなっていたのだと思う。
それらの外的要因がなくなり、年齢もあがり、自然となくなってきたのかもしれない。
この絵本は、嫌なことがあっても、嫌いな人がいても、それにどう対応するのかは自分で決めることが出来る。
嫌なことを上回る位の、自分の好きを普段から知っておけば、どんな時でも笑えるかもしれない..みたいなことを教えてくれている気がするので、そういう柔軟性が大事だと、私が口で説明するより娘にも伝わったと思う。
ちなみに全く繊細ではない息子は、この絵本の中でおフロに入ると嫌な気持ちがとれるというシーンがお気に入りで、兄弟喧嘩をした時などは、1人でおフロに入り、嫌な気持ちを落としているらしい。
おフロから出ると息子はいつも晴れやかである。