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お菓子は食べたらなくなるけど、絵本は何度でも読めるから好き


震災から三週間、支援策を考えた時、「まだ図書館ではない」「まだ本ではない」という思いを私自身の中に抑えていましたが、逆に「こんな時」だからこそ、その本が、いいえ、もしかしたらその本の中にある一行が与える影響は計り知れないものになるのではないでしょうか。その後、炊き出しなどについてお話をした時に食糧支援などは大変ありがたいと前置きをしながら、「食べ物は食べたらなくなります。でも読んだ本の記憶は残ります。だから図書館員として本を届けていきたいのです。」と。電気のついていない薄暗く静寂に満ちた図書館に、山口さんの静かな、でも使命を帯びた声が響きました。

中略

「この言葉、どこかで聞いたことがある」と記憶の糸をたどりました。その声は、カンボジアの難民キャンプの女の子の声でした。 

中略

「お菓子は食べたらなくなるけど、絵本は何度でも読めるから好き。」

走れ!移動図書館 鎌倉幸子著

食べ物は食べたらなくなる。
でも本は読んでもなくならないし、たとえ手放しても、一度読んだ本の記憶は自分の中に残り続ける。

私たちが生きていく上で必要不可欠なのは、衣食住だ。
それは災害時やコロナ禍には、特に実感した。

コロナ禍では、舞台、映画、コンサート、イベントなどの人が密集する上に、ライフラインに直結しないエンターテイメントは、まっさきに休止になった。

不要不急の外出を控えるよう呼びかけられた時、食料品の買い物は許されるが、それ以外の買い物は不要不急であると見なされた。

本を読まなくても死なないし、よほどの読書家でない限り、本がなきゃ不快だ!と感じることもないだろう。

まずは衣食住を整えるべきという理論はもっともだ。

でも、落ち込んでいる時や悲しい時には食欲がなくなる。
食べなければ元気が出ないけど、心が元気でなければ食べることが出来ない。

心と体は繋がっている。

お腹いっぱい食べることが出来ても、空調の効いた部屋で季節にあった衣服を身につけていても、心が元気をなくして、生きられなくなる人もいる。

実践女子大学の小林卓先生から古代エジプトのテーゼ図書館に掲げられていたサインについて教えてもらいました。入口には「図書館」ではなく「心の診療所」と掲げられていたそうです。

走れ!移動図書館 鎌倉幸子著

古代エジプトの時代に、人は既にそのことに気がついていたのに、今「図書館」を「心の診療所」だと思っている人はどれ位いるのだろうか。

現代のように色々なものがなかったからこそ、本能的に理解できたことなのだろうか。

お腹も満たされないし、すぐに役立つ技術を得られる訳じゃない。

でも文章には、たった一行で誰かの人生を救う力がある。

まだ見ぬ一行が持つ力は、今の私には計り知れない。


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