中山道さんぽ01(日本橋〜板橋宿)
さんぽ概要
区間:00日本橋〜01板橋宿
タイム:5時間15分
距離:13.5km
歩数:19,798歩
パン屋の数:12店
費用:2,097円
パン 1,827円(4店舗)
巣鴨「みずの」の塩大福と豆大福 270円
※ 距離は寄り道をしているので最短距離ではありません。
ついに始まりました。
旧中山道散歩。旧中山道というのか分かりませんができるだけ旧道を歩きます。
今回は日本橋から板橋宿まで。
前回の記事で自分で勝手に決めたルールは、ざっくり、
・中山道沿いのパン屋の数を数える。
・立札の撮影。
ぐらい。
歩いてみた感想は、
・立札が反対側の歩道にあっても知らんがな。
・立札をその場で読む時間と体力はない。
・気を抜くとパン屋を見逃す。
・買わなくてもいいルールだけど、お腹が減ってるとパンを買いたくなる。
・パン屋より美容院がやたら多い。
パン屋も立札も見逃してる可能性はあります。それは諦めます。あと、中山道から逸れて、ちょっと左にあるようなパン屋は中山道に直接面してないのでカウントしません。
また、ルールを追加します。
・noteは自分のために書く。
この記事を書きながら、長すぎて読みづらい気もしましたし、蛇足もあるかなと思って少し削ろうかと思ったのですが、目的を「自分のために書く」と決めたので、冗長でも書きたいことを自分のために書くことにします。
さて、幸運にもお天気は快晴。4月なのに夏日のように暑く、25度くらいまで上がる予報でした。日傘を差しながら歩くことにしました。
スタート地点の日本橋。何度か来たことはありますが、しっかり観察したことはないです。橋の袂にある観光センターなどで情報収集したところ、現在の石造の日本橋は1911年に完成した20代目、既に築100年を超えています。
橋の上を歩いていると、ウーバーイーツの緑色の自動運転ロボットが橋を渡っていました。もう実用化?と思っていたら、後ろからスーツの方々が10数人ついて来てました。
あと、歩道の真ん中あたりに托鉢する僧侶が座っていて、大きなバックパックを背負った外国人観光客から話しかけられ、スマホの翻訳アプリでコミュニケーションを取ろうとしていました。僧侶からは「スピリチュアルな‥」と、一生懸命説明しようとしている声が聞こえました。
1603年に初めて徳川家康がかけた日本橋の上で、アメリカ発のウーバーイーツの旗を掲げた緑色のロボがお昼ご飯を運ぶために橋の上を走り、托鉢する僧侶が英語でコミュニケーションしている。
この光景の写真が見せられないのが残念です。
さて、日本橋を離れ、北上していくと、三井不動産のお膝元である室町付近までは大型のオフィスビルが立ち並びますが、徐々に小規模となり、下町神田の雰囲気が出てきます。
室町の終わり、神田の始まりのころにパン屋1号です。
🥐パン屋1号 室町ボンクール
お昼時でお腹が減ったので、コロッケサンドとクロワッサンを買いました。雑誌のOZで紹介されていたそう。ミルクフランスパンもおすすめらしい。
神田の高架橋をくぐり、歩き続け、神田川沿いの須田町郵便局交差点を右折。昌平橋を越えて神田明神下交差点を左折。坂道を登って神田明神へ。
坂道の途中、外壁のタイルが美しい高山ビルにコッペパンの張り紙。気になるけど、今日は売ってません。残念。
昔ながらのタイルは、維持が大変ですが綺麗なので、つい目に止まります。
神田明神は徳川家康が江戸総鎮守に指定したことで江戸を代表する神社。鉄筋コンクリート造りの社殿は大変立派で、左側の文化交流館EDOCCO(2018年竣工)にはカフェがあります。
この交流館の裏側に出ると宮本公園があり、材木商であった遠藤家の店舗兼住宅が移築保存されていました。あいにく定休日でしたが、カフェとしても利用できるようです。今度来てみたい。
ここでお腹が減ったので宮本公園にて室町ボンクールで買ったコロッケサンドを食べます。
誠に個人的な趣味ですが、公園でパンを食べたら、その公園の名前をパンにちなんだ名前に勝手に変えて呼んでいます。過去には、世田谷区の松陰神社前の公園でピーナッツパンを食べたのでピーナッツ公園と名付けていました。
従って、宮本公園はコロッケサンド公園です。
神田明神入口にもどり、甘酒屋(天野屋。現存する麹室が千代田区指定有形文化財)の横を右折、ちょっと迂回してから本郷通りに戻ります。
特に立札もなく、歩き続けると2軒目のパン屋です。
🥐パン屋2号 本郷ベーカリー
生地にマスカルポーネチーズ、北海道最高小麦、生クリーム、沖縄の塩シママースを使った「本郷食パン究極」がイチオシとのことで、2枚だけ入ったお試し(300円)を購入。生のままでも、焼いてもどちらでも美味しかったです。
本郷三丁目交差点付近で、「本郷のかねやすまでは江戸のうち」と古川柳に詠まれた「かねやす」を探しましたが、見つからず。
江戸払いとなった罪人が追放される見返り坂を進むと、東大の赤門が右手にあります。赤門は将軍徳川家斉の娘溶姫が前田家に嫁入りした際に建立されたものです。
耐震性に難ありとのことで閉鎖されてました。
明治建築の棚沢書店を遠目に確認し、日光街道との分岐点に到着。明治創業の酒屋 高崎屋が今も残っています。中山道1つ目の追分一里塚跡(日本橋から約4㎞)の立て看板だけありました。
ここから片側2車線で少しだけ静かになります。
右手に現れたのが、ほうろく地蔵がある大円寺。
詳細を書くのが面倒なので書きませんが、悲劇のお七の罪業を救うために苦しみを引き受けたお地蔵様です。
ちょっと奥に行くと、幕末に洋式の砲術指南をした高島秋帆のお墓がありました。
境内は静まり返っていました。
中山道に戻り、白山駅付近を通過すると、東洋大学から出てくるたくさんの大学生とすれ違います。入口では公式アプリが入ったスマホを警備員さんにかざして入構してます。
坂道を歩いて行くと、左側から現れる白山通りと合流、巣鴨への道は幹線道路という感じ。
巣鴨駅に近づくと久しぶりのパン屋です。
パン屋3号 Boulangerie TOAST
左側には徳川慶喜が4年だけ住んだ屋敷跡があるとのことで説明看板を探すも、ちょうど新築ビルの工事中で歩道を歩けず見逃しました。
JR山手線の上の橋を渡ると左手に染井吉野の碑があります。
説明は一切ないのですが、関八州全図が掘られた石があります。関八州とは、相模・武蔵・上総・下総・安房・上野・下野・常陸のことを言い、多分、全ての村が彫られているという狂気を感じる地図で一見の価値があると思います。
巣鴨駅を通り過ぎた先の巣鴨地蔵通り商店街にはパン屋が3つもあります。
パン屋4号 タカセ
元祖塩大福で有名な「みずの」を挟んで、
パン屋5号 あんぱんの喜源堂
ヒルナンデスで紹介されたらしいです。
あんぱん屋はパン屋なのか悩みましたが、あんぱん以外も売ってたのでパン屋にカウント。
🥐パン屋6号 ブーランジェリーボヌール巣鴨
クロワッサンともっちりドーナツプレーンを買いました。店内は結構混雑してます。クロワッサンはバニラの香りが強く、甘め。サクッサクッ。
ドーナツは私の好物なので、つい買ってしまいました。砂糖がかかってる揚げドーナツは疲れた体に沁みます。
私のドーナツ好きの原点は、小学校の給食で食べたココア揚げパンときな粉揚げパンな気がします。
巣鴨地蔵通り商店街は、高岩寺に安置されている秘仏のとげぬき地蔵が有名です。境内には洗い観音があり、土日は混雑してます。
商店街の終わりの庚申塚交差点の一角には、巣鴨猿田彦大神庚申堂があります。1502年に建てられ、1653年に作り直したもので豊島区の登録文化財になっています。
江戸名所図会にも、中山道を行き交う旅人で賑わっていた様子が描かれています。
庚申塚から、都営の線路を越えるとすぐ左手に入ったところに延命地蔵尊(豊島区登録有形民俗文化財)がありました。
旅に疲れ、当地で亡くなった人馬を供養する塔です。
久しぶりにパン屋です。
パン屋7号 手作りパン 丸十
右手に明らかに古い建物が現れます。東京種苗株式会社の建物で種子屋です。
種子屋とは農作物の種子を生産し、販売する商店です。その草分け的存在である三軒は、滝野川三軒家と呼ばれます。
中山道沿いに種屋が数多く立ち並ぶことから、庚申塚から板橋駅あたりまでが種子屋街道となりました。滝野川は日本有数の種子の集散地でした。
堀割交差点を左に曲がると、仙川上水調節池跡(豊島区立千川上水公園)があります。千川上水とは、元禄九(1696)年、小石川白山御殿・湯島聖堂・上野寛永寺・浅草寺御殿と、下谷・浅草方面の江戸市民の飲料水を確保するために、玉川上水を分水した上水です。
ベンチに座ると餌をくれるのではないかと近寄って来ますが、あちらこちらでケンカをしたり、求愛のダンスをしたりと鳩の世界も忙しそうです。
空を自由に飛べるとはいえ、実は住める場所や行き先も限られているので、一応セーフティーネットがある人間界の方が生きやすいですよね?
そろそろ疲れて来て、お腹も減ったので、もっちりドーナツプレーンを食べました。
種谷街道の途中に、パン屋 麦の香(むぎのか)があります。
🥐パン屋8号 手づくりパン工房 麦の香
ここではクロワッサンを購入しました。細くて固めです。
板橋駅付近で近藤勇の墓を見るためには左に曲がる必要があります。正式名称は近藤勇(こんどういさみ)と新撰組隊士供養塔(北区指定有形文化財)です。
JR埼京線の線路を超えると板橋宿が始まります。
板橋宿は南の板橋駅西口から板橋宿区役所前あたりまでの平尾宿、現在の仲宿商店街付近の中宿、板橋(本当の橋のこと)から環状7号線付近までの上宿から構成されており、宿場全体の長さは15町49間(約1.7キロメートル)、本陣1、脇本陣3、旅籠54軒と大きな宿場でした。
東海道など頻繁に大名が通る宿は本陣の経営のみでやっていけますが、大名などの偉い人しか泊まらない本陣のみでの経営は厳しく、別に生業を持っていることが多いようです。
ちなみに、大名が払う宿泊費は大名の言い値です。きっつ。。。
川越街道との分岐である平尾追分を過ぎると左手にパン屋です。
パン屋9号 パンを楽しむ店 ぱーね
右手にある観明寺には赤門があります。加賀藩下屋敷の通用門です。加賀藩上屋敷の赤門と兄弟みたいなものですかね。
明治時代、板橋駅が宿場と離れたところにあるため、徐々に賑わいが失われていきました。かつての賑わいを取り戻すため、成田山よりお不動様を勧請し、縁日を開いたそうです。通りの名も板橋宿不動通りといいます。
観音寺の前で加賀公園を探してるおばさんに道を聞かれ、御礼にサッと黒飴2個もらいました。
あまりにも自然な動きで手元まで黒飴を差し出され、思わず受け取ってしまいました。手元まで差し出されたものを咄嗟に断るのは至難です。
右手の小道を入ったところに平尾宿豊田家脇本陣跡があります。マンションになってます。めっちゃわかりづらい。
再び中山道に戻ると、右手にパン屋です。
パン屋10号 grandir Japonais
パン屋とファミリーマートに挟まれた道沿いに板橋観光センターがあります。
板橋宿のジオラマや、1代目の縁切り榎の皮、中山道の説明などが見られます。
江戸時代の旅人たちが持ち歩いた品々が展示されているのですが、気になる一品がありました。
えっ、いや、この携帯用枕の角度やばくないですか。
「これがないと寝られません」とありますが、首が直角になりますよね?寝れる?
自分は寝れる自信ないです。江戸時代ってあらゆるものが現代に比べてきつそうです。
気を取り直して、仲宿商店街に入るところで11軒目のパン屋です。
パン屋11号 石窯パン工房 ロックフィールド
1914年に建てられた板五米店を挟んで、宿場時代の馬つなぎ場であった遍照寺。遍照寺へは、まるでマンションのアプローチのように綺麗な場所を通ります。
今回最後のパン屋、12軒目です。
パン屋12号 パン工房 マルジュー
中山道右手に入ったところの公園は板橋町役場跡です。中山道関係ないですが、1893年は町長の他、収入役・書記2名・雇用人2名の計5名、1897年には町長・助役・収入役・書記4名・付属員・用務員の9名の計13名?(看板の書き方が不明瞭)が勤務していたそうです。2023年4月1日時点の板橋宿区役所の職員数3,753人とは隔世の感があります。
さらに進むと、板橋宿本陣飯田新左衛門家跡(現ライフ仲宿店)があります。本陣は大名の宿泊所ですが、江戸より二里半(約10km)の近距離にある板橋宿では、宿泊に用いられることは少なく、主に休憩所として利用されたそうです。なので、本陣の建物の大きさも小ぶりでした。
ライフをすぎて右手に進むと飯田家菩提寺の文殊院があります。ここも立派な本堂があり、雰囲気良きです。
中山道に戻り、青果ビックリを過ぎて左手に板橋宿中宿名主飯田家跡(脇本陣)があります。
飯田家の総本家(宇兵衛家)であり、宝永元年(1704)に本陣を先述の飯田新左衛門家に譲っていますが、江戸時代を通じて名主・問屋・脇本陣を務めました。
しかも、文久元年(1861)の和宮下向に際しては、宇兵衛家が本陣役、明治初期の明治天皇行幸などでも本陣を務めるなど活躍は多いです。
人馬の縦立業務については、人馬が足りなければ、近隣の村から人と馬を出す必要があり、とてつもない負担でした。この制度を助郷(すけごう)と呼びます。
遠くの村に住んでる場合、朝に出たのでは間に合わないので、前日入りします。大した手当も出ないので、宿場町付近で野宿して、翌日働くといった過酷な労働です。大名の参勤交代などは、人々の過度な負担の上に成り立っていた制度であり、そのうち、助郷代行屋みたいなのも出て来ます。
詳細は、『旅の民族と歴史2 大名の旅』(宮本常一編著、八坂書房)を読んでみてください。分かりやすいです。
仲宿の終わりに地名の由来となった板橋が現れます。日本橋から2里25町33間(10.642km)と書かれています。
立札には、「板橋宿は、南の滝野川村境から北の前野村境まで20町9間(約2.2km)の長さ」と書いてあり、板橋観光センターに書いてあった長さより500m長いですね。つまり、諸説あります。
この先、板橋宿のうち上宿になりますが、今回はこの板橋まで。次回は板橋から再開したいと思います。
ちなみに、これまで書いてきたパン屋の名前の先頭に絵文字のクロワッサン🥐を置いているのが、今回パンを買ったパン屋です。
せっかく色々なパン屋のパンを同時に入手するので、クロワッサン食べ比べをしてみました。
見た目だけ見ても、個性がまるっきり違います。
真ん中のボヌール巣鴨が最もサクサクで甘め。一番下の麦の香は固めに詰まってる感じ。1番上の室町ボンクールは麦の香に似てるが、もうちょっと柔らかめという感じです。ぜひ食べてみてください。
と、以上で終わるのが記事の初稿だったのですが、妻に見せたところ、「パンのレビュー記事ではないので、終わりがおかしい」と言われました。
正論。
小っ恥ずかしいですが、初めて中山道というテーマで歩いてみた感想を述べると、読みたいもの、写真を撮りたいもの、立ち寄りたい場所、食べたいものなどたくさんあって、なかなかさっと進まず、疲れました。
でも、楽しかったです。気楽なさんぽは自動的に元気になります。体力は減っていくけど、気力は増えていく感じです。
中山道を最後まで行きたいなぁという想いを強くしました。
次回、中山道さんぽ2(板橋宿〜蕨宿)、楽しみです。