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一緒にいて楽しい人と一緒にいればいいという、単純な話ではないみたいだ。 話すのも、出かけるのも楽しい。自分の嫌な部分もだいぶ見せてしまっているし、くだらないこともつまらないことも話せる。こういう人と付き合えたらいいんだろうなあって、好きになるよりずっと前から思っていた。 でも恋人という関係になってしまうと、少しずつ何かが崩れていく。好きになってしまうと、なぜ私たちはうまくいかないんだろう。 居心地がいいのは恋人じゃなくなっても変わらなくて、お互いにお互いのことが嫌いなわ
どうしても強がれない夜。昨日と今日とで抱えているものは同じなのに、なんとかなるって思えない。 誰が読むのかわかんない本をつくっている。でもそれこそ出してみないとわかんない。 思い返せばいつだって一か八かの人生だったし、志望校がE判定でもひとまずぶち当たってみる人生だった。ぶち当たってみて後悔したことは一度もない(負けそうな闘いに挑む人って少ないらしく、無謀に思える時ほどうまくいくことが多い)。 だからこの本もこれでいいんだと思う。というかそう思いたい。 間違いなく魅力
本を読んだり何か書いたりして家にいることが好き。でも外で走り回ることや自然を眺めるのは気持ちがいい こだわる部分はたくさんある。てきとうでいいものもたくさんある 勇んで大丈夫と思えても、しかし不安な夜もある 自分のことが好きだけど、どうしても嫌で蹴りたいくらいの時だってある 明るさと暗さ、さっぱりとこってり この塩梅は自分でもよくわからず、どちらか一方に振れることなく微妙なバランスで私が出来上がってるのだと。 だからよくめんどうだと思われる。
春の始まりと恋の終わりはほぼ同時だった。平気なふりをしていたけれど、確かに落ち込んでいた。今までの恋人が遠くに離れていった理由を不必要に思い出しては結局は自分が悪いのだとさらに落ち込み、そんな私の性質までを受け入れてくれる人はこの世にいるのかと途方に暮れた。 あの時はまだ空気に冬の気配が残っていて、でも太陽のあたたかさはぐんと強くなって、春みたいだった。春みたいな日に公園で宗教の勧誘を受けたけれど、その帰り道では花を拾って、これは、ひとりになった私に対する何かいいことが始ま
川沿いを歩いて街に出掛けた パン屋で買ったパンをベンチに座って並んで食べた 真剣な目で服を選んだ お菓子を買い込んでドラマをみた 牛乳屋さんのプリンが美味しいと言った 写真は嫌いだと言った まぜそばにチーズをトッピングした 珈琲も紅茶も飲まなかった おそろいの靴を買ってきてくれた 二カ月も早い誕生日プレゼントだった 一緒にいてもよく眠った 興味のない話は上の空だった マヨネーズが好きだった 来年は野球のユニホームを買おうと約束した 私の言語を理解してくれる人だった けどそれ
昔好きだった人を思い出すみたいな気持ち。 ああ、こんな声だったな。こんな風に笑うんだったな。 夕方の麦畑、初めて通った裏道や、イオンに向かう途中の線路下、大学前の交差点、狼川にかかる橋。 学生時代を過ごした街のいろんな場所の記憶と、この人から聞いたいろんな話がどんどんよみがえってきて、懐かしくて、ほんとに泣きそう。 こんなに覚えていることに心がぎゅーっとしてきて、もう戻ってこない日々なんだってことがちゃんとわかってしまって、やっぱり泣きそう。温かい涙です。 こうして
ついに運動を始めました。と言っても週に1回(気が向けば2回)走るだけ。 大学までは部活に入ってちゃんと運動してた私も、どうやら「部活があったから」運動していただけで、本当はどうもインドアらしい。1日中部屋にいてもまったく平気。 だけど一応健康に関する勉強をしていたので、若いうちには何の支障も感じない偏った生活が、のちの生活習慣病につながるなんてことがうっすら脳裏をよぎる。食生活は70%くらいの本気度でやっているけど運動は0。これは生活習慣病コースだな。ということで、の、週1
人生を変える本なんてそうそうない。この本で人生変わりました、なんてめったにない話だと思う。 それでも生活を変えてしまう本はたまにあって、本の中の人の言葉や考えがずっと頭に残っていたり、登場した食べものが食べたくて仕方なくなったりする。私が単純な性格だからか、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(中公文庫、2006年)を読んでからしばらくの間はスープのレシピを調べては、みそクリームスープとか凝ったスープばかり作っていた。 そして新年早々、まさにそんな生活を変えてし