
「喜んでくれるかな」が・・・/大学で、能楽部に入った話。(02)【エッセイ:あの日、私と京都は。5】
「能・・・」
『能』と書かれた看板を手に持つメガネの男子学生と、
「・・・はい」
彼に、自ら話しかけた新入生。
この新歓シーズンにおいて、何の変哲もない2人だ。新入生がそのジャンルに興味を持って話しかけるのも、よくある話。文芸部に興味があって、単身で生協食堂に乗り込んだように。
――が、その内実は。
"一人で寂しそうに(←そう見えた)立つ男性に、話しかけたら喜ばれるのでは”
という、サークルそのものにはまっったく関係ない興味からであった。
行きたかった文芸部も見つからない。
他に行きたいというサークルもない。
後の予定は「スーパーでセールやってる牛乳を買って帰る」だけ。
そこで目に入った、華々しき新歓集団の脇に潜んだ一人。
『能』という謎の看板を持たされて(←もはや自分の意志ですらないように見えた)(←実は正解だったと後でわかる)、新入生は集まらず、ぽつんとたたずむ男性。
もし、文芸部が無事に見つかってたり、私に予定があったり、他に友達がいたりしたら、絶対話しかけはしなかっただろう。
でも私は一人だった。私も独りだったのだ。
何の力もないけれど、もし、私が話しかけたら、「ありがとう!」「ようこそ!」とか言って、憂いを帯びた表情が一変するんじゃないかと。
「へぇ・・・」
男性は長いまつげでひとつ、瞬きした。
何を言われるだろう、どんな反応をしてもらえるだろう――
少し緊張しながら、次の言葉を待った。
「能・・・っていうのはね」
男性は表情を変えず、穏やかに。
「能は伝統芸能のひとつで、室町時代からある。ひとつの曲、物語に沿って、演者が舞台で舞ったり謡ったりする。和製ミュージカルみたいなものかな。謡本と呼ばれる本があって」
すらすらすらすら
「そこに物語が書かれていて、その話を演じていくんだ。主役、脇役、地謡、お囃子と呼ばれる笛や鼓、太鼓なんかもいる。京都には能舞台がいくつかあるから、毎月、毎週のように舞台が開催されている」
すらすらすらすら
「そんな感じ。」
「・・・はい。」
――ご回答くださいました。
ありがとうございました。
・・・そ、そうだよな。
私が聞いたんだもの、答えて当然ですよね。
そうですよね・・・
「能に、興味あるの?」
「えっ!? あっ、いや、その・・・」
何だか急に、恥ずかしくなってきた。
「声を掛けたら喜ばれるかな」などと、上から目線も甚だしい。
そう。一体何様なんだ私は。
新入生のくせして。
能に興味もないくせに・・・
「その・・・何かな~と、思っただけで・・・」
興味ある、と嘘でも言えばいいのに。
そういうところはちゃんと言えないのだ。
おもしろそう、とか。すごそう、だけでも。相手に合わせたらいいのに。
でも ――"何だろう”と、思ったことだけは確かだった。
見たこともない。触れたこともない。
『能』が何かも、わからない。
『能』と一言、書かれた看板を持って。
夕暮れの生協前に、たった一人で立ち続けるほど。
そんなにも、『能』には。
何か意味があるんだろうか。
能って何。
能って一体、何だろう・・・。
「そうだね・・・」
男性は少し間を置いた。
「僕らは、能の中でも、『仕舞』と『謡』を中心に稽古をしているんだ。あ、仕舞、ええとそうか。仕舞もわからないよね」
「は、はい」
しまい・・・おしまい?ししまい?(←違う)
「仕舞、っていうのは、舞のことなんだ。扇を持ってね、こう」
と、看板を持っていない方の手をひらひらと掲げる。
そこに扇はないのだが。
「舞って、型の稽古をする。型、ええと・・・」
かた・・・??肩?(←違う)
「あー・・・」
そのとき男性は――初めて。しかも、唐突に。
「うん」
それこそが、私が期待していた通りの。
もう、眩しいぐらいの。
満面の笑みだった。
「――説明するの面倒くせぇ。」
!?!?
「君、この後の予定は?」
「え!? いや、特に」
「行こう。今日は師匠がいらっしゃるから」
「ええ!? えっ、えっ」
「僕らの稽古場、BOXに行こう」
そしてテキパキ・スタスタと、
「ついてきて。こっち」
「えええぇえ!?」
新歓にわく、夕暮れの生協前を横目に、体育館の脇道を抜けていったのだった。
↓↓続きはこちら↓↓
いいなと思ったら応援しよう!
