原発体制の安全保障問題は完全にガラ空き状態の日本が「原発と再生エネ活用を競争力の土台に」(日経2024年12月19日「社説」)などと脳天気以前のお花畑の発想(後編の4)
【断わり】 その間,ほかの課題に関心が移りこれを書いてきたため少し,日にちが空いてしまったが,「本稿(後編の4)」は以,下の記述を受けてその第5編目となっている(全編は6編構成になった)。できれば,こちらの最初の「本稿(前編)」に戻って読まれることを期待したい。
※-1 原子力発電にいつまでもこだわり,原発コスト「高」の扮装(ゴマカシ)に熱心(必死)である原子力ムラ側の内部事情,緊急事態時には異様に危険性が高まる原発に「なにも利点はない」のだが・・・
2022年2月24日,あの狂気の「ロシア正教的なカルト」を偽装した元KGB(カーゲーベー:旧ソ連の国家保安委員会)の,一員であった「プーチンのロシア」が始めたウクライナ侵略戦争のために,世界におけるエネルギー資源価格が高騰するといったよからぬ効果を招来せしめ,世界各国経済に要らぬ非常な負担と圧迫を与えてきた。
そうした情勢変化のなかで,一方では当然の趨勢であるが「再生可能エネルギーの導入・利用」をさらに進展させる方途が強調されている。ところが他方では「危険がいっぱいで,地球環境の再生・利用という観点では最悪・最凶である原子力をエネルギー」を,このさいもっと活用すべきだという,完全に見当違いの,つまり「原子力ムラ」から発散されてきた「いつもの例になる誤導イデオロギー」が,またもや元気をえたかのように頭をもたげてきた。
本日の記述(一連の記述の最終回)を始めるにあたり,つぎの「トヨタにおける風力発電の導入実態」を,今回も再度紹介しておきたい。これは,2023年1月4日の『日本経済新聞』夕刊に出ていた記事である。
昨年,2022年12月中にすでに,関連する記事も出ていたが,こうした最近のエネルギー関連の事情一環を表わすトヨタの実例を紹介してから,本日の本論に入る構成となる。この記事は「本稿(前編)」(一番さきに公表した編)で,すでに紹介していたが,「トヨタが・・・・した」という事例だったということで,あえてここでもとりあげておくことにした。
この「本稿」の記述を連続して書いていくあいだに,つぎのような関連する『日本経済新聞』の報道も登場していたので,紹介しておきたい。なんといったらいいのか,「戦争と平和の問題」そのものが,ねじれて表現された現実的な話題が,再生可能エネルギー「風力発電」の利用・活用で生まれていた。
このウクライナにおける風力発電の施設は,実質戦時下にある非常事態のなかで,いざとなったら,ロシアのミサイルによる精密攻撃を受けた場合,らひとたまりもなくなるような損害を受けることは必至である。
だが,それでも,すでにロシアが占拠しているザポロジェ原発の(現在まで未稼働であっても),本ブログ筆者流の解釈でいえば,「原発≦原爆」という「意味関連とはまったく無縁の発電方式」である「再生可能エネルギーによった電力生産方法」を採用したウクライナの試みは,
「戦争と平和」になぞらえて表現するとしたら,「原爆(≧原発)」と「再生可能エネルギー」の好対照というか,実に皮肉というほかない2項関係的な電力生産方法「同士」の,ある意味では,みごとなまでの好対照(悪対照?)が例示されたことになる。
※-2 日本原発史の《嫌な思い出》にかかわる論及
昔,高木仁三郎(生死年:1938-2000年)という「反原発の立場に立ち,清廉な思想をもつ科学者」がいた。その人物像は次項※-3であらためて触れるが,その徹底した反原発の思想とその実践活動は,非常に真摯でありかつ徹底的に地道に科学の立場を貫いていただけに,一方の原子力村で原発推進事業を想国家体制で展開する陣営にとってみれば,きわめて珍しい存在であったといえ,これほど扱いにくい科学者はいなかった。
高木仁三郎は,2011年3月11日に発生した東日本大震災とその大津波に東日本全域が襲われたとき,すでにこの世にはいなかった。そのような「自然からの重大な警告」がなければ,日本の原発体制はその後も,電源比率において原発が占める割合を,50%以上にまで高める目標に定めていた。
いまからだから,ここでは,決めつけ的に強調して語れることは,「それまで」はまさに,きちがい沙汰とも形容してよい「原子力エネルギーの利用体制を企んでいた」ことになる。フランスが現実に7割以上の電源比率を原発(原子力)に依存しているが,ヨーロッパのこの国が,それこそ放射能まみれでの電力生産にいまもまだ邁進中だというとなれば,さすがマリ・キュリーを育てた国だと,それも皮肉を述べる口調で感想を語るほかあるまい。
さて,この日本はどういう現実に遭遇してきたか? 東日本大震災が2011年3月11日午後2時46分に発生し,これに惹起された大津波の太平洋沿岸地域一帯への襲来は,東電福島第1原発事故を起こした。この結果,原発はもうこりごりだという理解を世間に与えたはずである。
ところが,原子力村的に日本の国家全体に根ざしている「支配層の権力基盤」にとって,原子力を利用する国家基盤そのものは,とりわけ核兵器保有国にいつでもなれるための条件を維持していくために,けっして動揺させてはならない前提条件とみなされてきた。
それゆえ,あれだけのそれこそ「日本壊滅寸前」,本当にそのぎりぎりまで追いつめられていたはずの大きな原発事故の大危機を体験していながら,それでもなお「原発大好き体制」を変更することにはならないでいる。不思議な国である。
東電福島第1原発事故が起きてからもうすぐ,満14年もの歳月が流れることになるが,この国の原子力村的な統治頭脳のなかは, “原子力価値観信仰” 一色しかありえながために,原発(そして多分原爆:核兵器)が恋しくてたまらない愚かな人びとが多数いる。
「プーチンのロシア」がウクライナに侵攻したとき(2022年2月24日開戦),ウクライナ国内インフラとしての原発に向かっては,さすがに直接手出しをできないでいた。だが,もしも原発に1発でもミサイルを撃ちこんだら,この地球環境は1986年の「チェルノブイリ原発事故」,2011年の「東電福島第1原発事故」以来の,それも最大級の原発事故を覚悟しなければならなくなる。
要するに「原発は原爆」である。原爆を応用したのが原発なのだから,そういっても過言ではない。それどころか,ごく簡単な基礎的理解である。東電福島第1原発事故の発生にともない「原発推進の立場」は,具体的な根拠あるいは現実的な存在合理性を喪失した。それでもまだ,原発そのものにこだわる理由があるとしたら,あとは原発の兄貴分である「原爆(核兵器)の保有願望」にあるとしかいいようがなくなった。
「戦時の原爆⇔平時の原発」は兄弟分の間柄にあるゆえ,たがいに欠かせない親密な関係性を有する。このことの,平凡だがもっとも基本に控えている原子力エネルギーの始発的な由来は,けっしてないがしろにはできない問題性であった。
※-3 さて,高木仁三郎の話題となる。『週刊現代』2011年5月21日号の記事が,この画像資料のごとき紙面をもって,「電力会社からの『口止め料3億円』を断った科学者がいた」と報道していた。
前記)以下は「電力会社からの口止め料3億を断った科学者,高木仁三郎さん」『静寂のブログ』2013-09-16 13:31:04,https://ameblo.jp/rasenrinne/entry-11614954434.html 参照。
--当時(1979年)の3億円は,今の100億円くらいに相当する。...この方は2000年10月8日にガンで亡くなった,高木仁三郎氏です。(群馬県立前橋高校から東大理学部卒。核化学が専門)
補注)この「3億円→100億円」という推定=時価換算は換算率が大げさであり,説明としては誤りに相当するほど過大な換算であった。だいたいのところでいえば,4倍ほどかけておくのがほぼ妥当な計算ではないか。,12~13億円(思い切ってまるめてしまい10億円でもいい,話としてはなんら支障はない)とみるのが,ほぼ適切な評価水準ではないか。
〔記事に戻る→〕 高木仁三郎は1974年ごろからすでに反原発科学者として活動。「原子力資料情報室」(http://www.cnic.jp/ )を創設し,室長も務めました。日本原子力事業に入社したときのことを,こう回顧しています。
「会社で期待されていた放射能の専門家としての役割は,一口にいえば『放射能は安全に閉じこめられる。』とか『こうすれば放射能はうまく利用できる。』ということを外に向かって保証するものだった」
そして4年で退社します。自分をごまかせなかったと。1978年,反原発運動全国連絡会『反原発新聞』( http://www.hangenpatsu.net/ )創刊。編集長を務める(1988年まで)。
1997年,長崎被爆者手帳友の会平和賞を受賞。スウェーデンでライト・ライブリフッド賞を受賞。
「現在のもっとも切羽詰まっている問題に対し実際的模範的な回答を示した者」を表彰する。主に環境保護,人権問題,持続可能な開発,健康,平和などの分野にて活躍した人物,団体に授与されることが多い--。プルトニウムの危険性を世界にしらしめたという理由で受賞しました」
浜岡原発の賛否をめぐって,1995年くらいに反対派と賛成派が議論を交わしたことがあったと,「大沢悠里のゆうゆうワイド」で話題にしていたことがあったそうです。その時反対派の論客として,高木仁三郎氏が登場しこう語りました。
「もし大地震が起きれば原発の給水系は壊れ制御棒はメルトダウンする。原子炉がいくつもある福島,福井では複合的に壊滅する」
いま(ここでは2013年のことを)から18年も前に,福島第1の事故をピタリといい当てていたのです。それに対して賛成派の論客(官庁の課長)は,こう反論しました。
「反対派は原発がいかに危険かばかりを議論している。安全このうえないのに。事故は仮想にすぎない。事故は決して起きないからマニュアルは不要。万一事故があったらマニュアルは役立たない。事故があったら終わりだ」
事故があったら終わりだ,と認識しているのに,そのことを想定する必要はない,という認識。国のやっていることはすべてがこれです。
補注)「事故があったら終わりだ」というのはほとまず完全な断定であったが,本当に原発の事故が起きた。そのために,「その後始末に終わりはない」と形容していいほど長期間にわたり,事後の対策が継続的に要求されていく。
まるでナポレオンがもっていたらしい辞書が語りだした口調を聞かされたほうの立場としては,まさに「開いた口がふさがらない」(ような)いいぶんが,ヌケヌケが放たれていた。
〔記事に戻る→〕 尾行や無言電話,嫌がらせなどにも屈することなく,三里塚闘争にかかわり,必死で抵抗して農地を守ろうとする老婆の姿に,「自分は国家権力側なのか,市民側なのか…」と疑問を抱き,市民学者として一生を捧げ,成田空港も生涯使わなかったという信念を貫きました。
群馬県出身の,世界に誇れる科学者が存在したことを,いまごろになってしりました。尊敬します。(引用終わり)
原発事故が「あったら・起きてしまったら」という緊急事態は,原発推進派にとっては「正夢にであっても絶対に出現してはいけないもの」であったと想像してもよい。
だが,「3・11」は現実として起きた。安全神話の「ニセ神話」性は,暴露された,破綻した。しかし,それでもなお,原発推進派が原子力ムラを拠点に強力な勢力として存在しつづけているのは,どうしてか?
※-4「発電コストワーキンググループが新試算 ついに」『原子力資料情報室』(『原子力資料情報室通信』第566号)2021/08/01,https://cnic.jp/39764
この『原子力資料情報室通信』第566号,2021年8月1日は,2021年7月12日に,経済産業省の諮問機関である総合資源エネルギー調査会の発電コスト検証ワーキンググループ(以下,WG)が,
新しい発電コスト試算の概要を発表していた点について,なかでも,同WGの第6回会合(2121年7月7日)が,原発の発電コストについて情報提供をおこない,そのコスト試算の内容とその限界について解説していた点について,批判的な吟味をくわえ反論していた。
付記)以下の引用は,なるべく読みやすくするため文章の表記についてはとくに工夫して引用する。
1.新しい発電コスト試算の概要
まず,今回の発電コスト試算を確認しよう。試算されているのは,2030年に電源を新設し,一定の年数(原発の場合40年),一定の設備利用率(原発の場合70%)で運転すると仮定して算出した総コストを総発電電力量で割ったkWh当りの発電コストだ。
本試算で特徴的なのは,これまで経済産業省などが実施してきた試算で,初めて原発の発電コストが最安価格から脱落したことだ。
これまで,経済産業省がおこなった試算では,原発の発電コストが他電源よりも高くなりそうになると,試算方法を変えるなどして,計算上安いことにしてきた。
a) 2011年に実施した発電コスト試算では,日本ではいまだ本格的に導入されていない,排出権取引が導入されていることを前提にしたCO2 対策費が盛りこまれた。
b) また2015年の試算では,事故リスク対応費用の計算方法を変更したことや,当時資源価格が高騰していたことで,原発は最安電源という地位を維持していた。
c) しかし,今回の試算では,もはや原発が安い電源ではないという現実を受け入れざるをえなくなった。
なお,過去,本誌『原子力資料情報室通信』で報告してきたとおり,2015年のWG試算にもとづいて発電コストを試算すると,石油・石炭・LNG・原発の4つの電源のなかは,LNGが最安,ついで原発,石炭,石油となっていた。この点,今回の試算はおおむね想定どおりだった(522号,543号,550号参照)。
今回の試算では,最安の電源は
事業用太陽光の8円台前半~11円台後半,
ついでガスコジェネ(熱電併給)の9円台後半~10円台後半,
家庭用太陽光の9円台後半~14円台前半,
陸上風力の9円台後半~17円台前半,
中水力の10円台後半,
そして原子力の11円台後半~へと続く。
ところで,一部委員から,原発の稼働年数を60年にするべきとか,設備利用率をもっと高く見積もるべきだといった意見が出された。これは,稼働年数や設備利用率を高く見積もれば,総発電電力量が多くなるためだ。
〔つまり〕燃料費の比較的低い原発は,稼働期間や設備利用率が増えても総コストにはそれほど影響しない。結果,kWh 当りの発電コストは低くみえることになる。
当室〔原子力資料情報室〕は,第6回WG〔経済産業省諮問機関,総合資源エネルギー調査会,発電コスト検証ワーキンググループ〕で,で詳説したが、関西電力の原発の定期点検長期化との因果関係が疑われる。
イ) 過去日本の原発の平均設備利用率が80%を超えたのは数年しかないこと,全体平均では東京電力福島第1原発事故の起こる前である「2010年までの平均」でさえ,69%であること,海外でも80%を安定的に超えている国は多くないことなどを示して,設備利用率は高くともせめて70%で考えるべきだと主張した。
ロ) また,原発の稼働年数についても,世界で稼働中原発の最高齢はスイスのベツナウ原発1号機の52年であり,60年稼働した原発は存在しないこと,60年稼働するとした原発でも60年に満たずに廃炉となったものもあること,世界の原発の平均廃炉年数は26.6年だったことなどを示した。
補注)原発の利用に際しては最初,30年程度の耐用をみすえていたと推測できる。それを40年からさらになんと60年まで延伸させるというのは,原子力をエネルギーに使う原発としては,恐怖そのものさえ意味させる。
ハ) 結局,原発の設備利用率は60%,80%,稼働年数は60年でも計算されるものの,基本シナリオは70%,40年が維持されることとなった。
2.新しい発電コスト試算の課題
はじめて原発が最安電源ではないことを認めた点で,〔経産省:WGの〕本試算は一定の評価ができる。しかし依然として多くの点で問題を抱えている。
▲-1「資本費」
原発の資本費について,この試算では前回を踏襲して,直近に運転開始した4基の原発(サンプルプラント)のデータをもとに物価等で補正して40万円/kW(2015年試算37万円/kW)と試算した。しかし,本当にこのコストで建設できるのかは疑問だ。
WG委員からは原発の改良標準化によって,資本費は変動しなくなったと報告されていたが,本当にそういえるのか。1980年以降の kW あたり建設費を図2に示したが,上昇傾向にあるようにみえる。
これを炉型別にみると,PWRは上昇傾向があまりみられないのに対して,BWRは上昇傾向が観察できる。改良標準化とは違う要因が考えられるのではないか。また,欧米で建設費が高騰した理由は,安全対策による構造の複雑化,工事期間の長期化などが挙げられるが,これは日本でも同じことがいえる。
追加的安全対策費として,新規制基準に対応するための費用を別途見積もっているが,これは既存の原発に追加的に発生している費用から,新設の場合不要となる部分を差し引いて計算しているが,これは根拠ある数字といえるのか不明確だ。
当室はWGへの情報提供で建設費は上昇傾向にあると主張したが,採用されなかった。
補注)つぎの相関関係分析にもとづくその主張であったが,一蹴されたのこと。この統計図表から「建設費上昇傾向」を読み取らないというのは,統計学(統計手法)に完全に無知であったか,そうでなければ意図的に無視,否定する「特定の価値観がなさしめるワザ」であった。
▲-2「運転維持費」
試算では,運転維持費についてもサンプルプラントのデータをもとに,以下の表1のとおりとしている。今回の試算ではまだkWh当りの運転維持費は発表されていないが,おおむね前回試算と変わりない数字になるとみられる。なお,運転維持費は運転期間だけかかるものとして計算されている。
一方,各電力会社は有価証券報告書で,保有する原発全体の運転維持費を発表している。これにもとづくと,運転維持費は原発の廃炉前後でそれほど大きく変わっていない。つまり,廃炉後も維持費がかかっていることがわかる。
原発の廃炉には30~40年間を要する点で他の電源と異なっている。こうした長期に渡るコストを勘案しなければ,原発の発電コストは不当に安く見積もられることになる。
補注)これから実際に始まる(あるいは実際にすでに始まっている)廃炉工程が30~40年で完了できるかという保証はない。もっと長期化する見通しならばある。
また廃炉工程会計の見地からいうと,未来に発生していく「関連のもろもろの経費・費用」が,既存の企業会計原則に収まるような「本来の性格」ではありえない実際に鑑みて,そのほかにも,いったい,なにが出てくるかわからぬお化け屋敷のごときその「廃炉工程会計の全体的な姿容」は,いまだに把握できていない。
かくのごとし現在において,ともかく原発会計にかぎっては楽観的に見通したいとするばかりの立場は,反科学的だという以前にそもそも,原子力村関連の利害・イデオロギーに首根っこを押さえられていたゆえに,登場した「暴論・妄論のたぐい」でしかありえない。
〔記事に戻る→〕 当室は,WGへの情報提供で有価証券報告書にもとづいて試算すべきと主張したが,採用されなかった。
▲-3「統合コスト」
第5回WGで「システム統合を反映した限界費用の試算」が報告された。このなかでは,原発を含むシステム統合を反映したコスト試算が報告されている(図3)。
これは,各電源を一定量増やした場合に電力システム全体として発生する費用を「統合コスト」とみなして,そのコストを,増加させた電源にかかった費用だとみなして一定のモデルのもとに試算したものだ。
柔軟性の低い電源はコスト増加要因となり,柔軟性の高いLNGはコスト減少要因となることが示されている。ここで興味深いのは原子力もコスト増加要因として示されていることだ。
2020年12月から1月に電力市場価格が高騰した。この要因については,本誌565号や,調査レポート「原発の定期点検長期化が卸電力市場価格高騰の原因か ―巨大電源の隠れたリスク―」( https://cnic.jp/39079 )で詳説したが,関西電力の原発の定期点検長期化との因果関係が疑われる。
原発の停止長期化はこのときに限った話ではない。たとえば,柏崎刈羽原発は2007年の新潟県中越沖地震で被害を受けた。7基あるうち3基はそれ以来稼働していない。
2002年に過去,原発で発生したトラブルを隠蔽していたことが発覚した。これを受けて多くの原発が停止を余儀なくされ,翌〔2003〕年夏には東京電力管内で電力危機に陥った。
東日本大震災による原発の停止で電力危機に陥り,計画停電がおこなわれたことも記憶に新しい。
原発は1基あたりの出力が大きく,出力調整ができない。停止に備えて,バックアップ電源を確保しておく必要もある。瞬間的な停止であればまだしも,停止が長期化した場合,その影響はきわめて大きくなる。
くわえて,原発は本質的にもつ危険性から,ひとつの原発でみつかった問題が水平展開されて,複数の原発が止まることもある。そうした場合,より電力系統に与える影響は大きくなる。
原発の統合コスト以外で気になるのは再エネの曇天無風期間への対応だ。大量の蓄電池を新規に導入するとなると,巨額のコストが必要となるだろう。しかし,今後増加すると考えられる電気自動車の蓄電池を活用できれば,大幅にコストは削減できる。
こうした費用は今回試算では考慮されず,2030年電源構成が発表されたのち,あらためて試算されることとなっているが,要注目だ。
3.感 想
WG試算結果について,WG委員は異口同音に「数字が独り歩きしないように」と発言した。しかし,過去のWG試算結果,とくに原発が最安の電源だと利用してきたのは経済産業省だった。いまさら,独り歩きを懸念しても,という気がする。
今回の試算結果で,多くの課題があるものの,ようやく日本でも原発や石炭火力が太陽光や風力に比べても,LNGに比べても安くない電源だという国際標準の認識に至った。この結果は,当然,今後のエネルギー政策に大きな影響を与えるだろう。
一方,単体の発電コスト以外に,統合コストという新しいコストが考慮されるようになった点も注意が必要だ。これを使って太陽光や風力といった変動電源のコストを高く見積もるという動きにつながりかねないからだ。
今号「短信」にあるように,関西電力・中部電力はこれまで自社電源同様としてきた北陸電力志賀原発2号機との契約を,契約期間満了を口実に2021年3月で終了した。これまで原子力ムラを維持してきた構造は,電力自由化,電力需要の低下,原発が10年再稼働できないという現実に耐えかねているようにみえる。(松久保 肇)
ところで,昨日(2025年1月23日)に,『日本経済新聞』がつぎの報道をしていた。これは,AIや半導体産業の隆盛にしたがい電力需要が確実に増えていく,という予測を語った解説記事であった。ともかくその日経の記事を紹介しておく。
しかしまた,本記述(連続モノ)は,日経のこのような報道はけっして鵜呑みできない分析・報告があった点にも言及してきた。その点を説明するための統計資料も,繰り返し的な紹介となるが,つづけて挙げておく。
結局,原発を推進させろと催促するための発言する者たちにかぎって,そのコスト面・安全性の問題には触れなくなっており,ただ「エネルギー安全保障」のために必要だという論旨に宗旨替えした,つまりは筋違いを起こしたかのような論調が,潜伏的にながらであっても,そうとう露骨にチラホラしだしていた。
本日(とはここでは,2022年3月29日)の朝刊2紙,『朝日新聞』と『日本経済新聞』に目を通したたところ,原発の問題に言及する記事やコラムがいくつかあった。
いずれも「プーチンのロシア」によるウクライナ侵攻の影響を意識してなのか,またぞろ原発の必要を “なんとなくでも” 指摘しておきたい「下心を剥き出し(!?)した発言」をおこなっていた。
1) 『日本経済新聞』2022年3月29日朝刊から
a) 「独電力大手が石炭に回帰 RWE,停止発電所の稼働検討 ロシア産ガスを代替 脱炭素先送り」(15面「ビジネス」)
この記事は,「原発は〔ドイツ〕政府が,経済的なメリットが安全面などのリスクと釣り合わないと結論づけた報告書をまとめ,稼働延長論はしぼんでいる。エネルギー源の多様化のための残る選択肢として石炭火力への期待が高まっている」と断ったうえで,さらに,
「電力会社にとって共通するのは,石炭火力に回帰しても『一時的なつなぎ』であるとの認識だ。ロシアのウクライナ侵攻で,ドイツが想定していたロシア産ガスをつなぎにして再生エネ主体に移行する戦略は崩れた。ガスと石炭でつなぐ期間をどれだけ短くし,CO2 削減の軌道に戻せるかは再生エネ導入をどれだけ加速できるかにかかっている」とまとめていた。
2022年2月24日に「ロシアのプーチン」がはじめたウクライナ侵攻は,エネルギー問題については「平和である状況を想定した条件設定」のところへ,「戦争という撹乱要因」が突如がもちこまれた。
ウクライナの原発施設がロシア軍(侵略した軍隊)によって占拠・支配された問題は,ここではあえてひとまず置くとしても,ドイツは2022年内に原発を全廃させる計画--これは東電福島第1原発事故を受けてドイツが方針転換をおこない決めていたもの--を変更していない。
補注)その後における経過としては,ドイツは原発の廃絶を翌年2023年4月15日まで延期をよぎなくされたが,当初の予定どおり原子力エネルギーを電力生産のために充てるこれまでのやり方を,完全に変えた。
b) 「〈大機小機〉」(19面「投資・情報」)
このコラム〈大機小機〉の主張は,全面的な誤謬を口ずさんでいた。とくに後半の部分は,デタラメとまで形容してもいいほど,いい加減な発言をしている。引用して批判する。
戦後の日本が経済成長を実現できたのは,3つの恵まれた環境があったからだ。
1つは,東西冷戦とその後にしばらく享受できた日本にとって地政学リスクのない世界,
2つ目は,995年の阪神大震災と2011年の東日本大震災まで壊滅的な大災害がなかったこと,
3つ目が原発を基幹電源にできたことだった。
補注)この最後の「3つ目が原発を基幹電源にできたこと」という点は,具体的な事由にはなりえなかった〈いいぶん〉である。基幹電源とは多分「ベースロード」を指した意と思われるが,この解釈は当たっていない。いわばコジツケの屁理屈であった。
現在は法政大学社会学部教授である高橋 洋によれば,ベースロード観念をもちだした原子力村の論旨に特長的な支離滅裂ぶりは,とうの昔にしられたシロモノだとされた排斥されたにもかかわらず,なおも,このベースロード観念に相当するなにものかをもちだし,つまり表現だけを変えて異口同音の観念操作をしたがる,原子力村の隠語的用法はまさしく「懲りない面々」による特定の印象操作的な修辞そのものであった。
原発が2011年の「3・11」以前までは3割ほどの電力供給源となって,電源比率を構成していたが,あの東日本大震災・東電福島第1原発事故の直後,無理矢理にであっても,遊休施設となっていた火力発電所を急遽復旧させて,電力需要をまかなう努力した。しかも,それでもってなんとか,日本全体がなにか問題になるような決定的電力不足は起こさせなかった事実に照らしていえば,
前段のごとき「原発・原子力中毒」にかかって,つまり,原発教に「ラリってしまった」かのような信仰たちごとき発言は,いまどきになってみればたわいないことに,原発にかぎって強調したがっていた「ベースロード観念」の,それも粗雑きわまりなった用法は,それこそ理屈ぬきでの「ハッタリ的な話法」そのものであった。
再言する。「3・11」発生以降,原発の稼働率が極端に低下していても,日本全体としてはさておく点も含めてだが,とくに東京電力管内で「致命的な電力不足」に至っていたわけではない。
当時までにおいてすでに,火力発電(原発以外の火力発電各種という意味である)については,予備の(余剰)施設が多数基,休止(遊休・未稼働状態)していた事実をしっての話か? まさか全然しらなかったわけではあるまい。
つまり,「3・11」以前において原発が,そのほか既存・現有であった火力発電を押しのけて(停止・休止⇒遊休施設化状態にしておき),稼働させ利用する関係にあった。
たとえば,『エネルギー白書 2014』の,第1部「エネルギーを巡る状況と主な対策」の第1章 「エネルギー基本計画の背景にある諸情勢」第2節「東京電力福島第一原子力発電所事故及びその前後から顕在化してきた課題」は,「1.東京電力福島第1原子力発電所事故による深刻な被害と原子力発電の安全性に対する懸念」のなかでは,こう指摘されていた。
ここではとりわけ,「老朽火力発電所を含め……」という点に注意したい。「3・11」前後における「原発とが通常の火力発電との関係」に言及したのである。
〔日経記事に戻る→〕 一国の自立と発展を考えるときにエネルギー安全保障は優先順位がもっとも高い政策である。日本に資源がないことを忘れてはならない。
電力需給の警報をむしろ国民的議論の好機とすべきだ。省電力の実を上げるにはなにをすべきか。安全性を確保しつつ原発再稼働のために政治はどう動くべきか。現実には参院選を前にガソリン代を抑えるといった小手先の対応ばかりが目立つ。危機の本質を伝えるべきである。(大愚)(引用終わり)
遠慮なくいうが,この寄稿者「大愚」氏はたしかに,大愚に浸っていられた人士と察する。「日本のエネルギー安全保障」は「日本に資源がないこと」を前提に,というくだりからして,まず「愚」にもとづいていた。そして「安全性を確保しつつ原発再稼働」させるのだ,といいたかった点も,大約「愚」に浸った発言でしかありえなかった。
すでに,安全性を確保するために要求された追加工事によって,原発のコストはドンドン上昇していた。2010年代において,1基5千億円だった価格の原発は,その倍の1兆円になってしまった。その後も下がることはけっしてなく,上がる一方であった。
結局,原発が日本の企業では「商売:売り物にならない製品」になってしまった。日本の重工業会社で原発を製造・販売する会社(三菱重工業・東芝・日立製作所)は,輸出向けの事業展開がほぼ不可能になった。2025年の今日まで,日本のそれら企業が原発を輸出したという話はあったか?
原発の安全性といったら,安全保障の問題を「エネルギー問題から戦争の問題」にまで幅広く関連づけて検討していなければならない。そのような問題意識は具体的に指摘すると否とにかかわらず,「プーチンのロシア」がウクライナ侵略戦争を開始した事実により,十二分に裏付けられた。
原発関連の商売だとなれば,そうした中外にまたがって発生する危機管理の諸問題が,このたびにおける「ロシアのプーチン」のウクライナ侵攻によっても,あらためて明々白々に現実化する危険性を教えた。企業経営の運営をめぐり発生するあれこれの危険のうちでも,その発生する確率性が低いとはいえ,とくに原発の問題は事故発生となったときは,あらゆる方面に対して致命的かつ決定的な損失・破壊を与える。
にもかかわらずこのように,しごく抽象的な一般論でもって「安全性を確保しつつ原発再稼働のために」などと,能天気以前の〈ハナブク提灯〉を膨らせ,呑気にも語っているようでは,なんの足しにならないどころか,有害無益の駄論であった。
それに,はたして「日本に資源がない」などと,いい切っていいのか? エネルギー問題に関していうと,日本が再生可能エネルギー「資源の潜在力」に,なにか決定的な不足があるわけではない。この「大愚」氏はいったい,どうして,そのような「デタラメ」を述べることができたのか?
たとえば,秋田県における再生可能エネルギーの開発・利用状況などものぞいてみたらよい。日本全国の次元でもむろん,秋田県のごとき動向はいままで,大いに伸長してきた。本日の日経コラム「大機小機」を担当執筆していた人物は,その名のとおり「大愚」にはまった意見を開陳していた。
c) 日本エネルギー経済研究所研究主幹・橋本 裕「〈私見卓見〉天然ガス市場の脆弱性克服を」(28面「経済教室」 )
この「経済教室」の主張は,いってみればドサクサにまぎれてだが,ついでに,原子力についても,以下のように述べていた。
さらに,まえもってこういう指摘もしておく。この橋本 裕は「再生可能エネルギーの活用や省エネ」問題の上に,完全に異質であり正反対のエネルギーである「原子力の役割」を,とても力点をかけてじかに重ねて強調していた。だが,そうしてみたところで,原発の問題を付け足し風に語っているかぎり,なんとも詮ない議論の仕方になっていた。
いわく「天然ガスやLNGへの過度の依存を長期的に低下させるための取り組みも避けては通れない。再生可能エネルギーの活用や省エネにくわえ,原子力の役割も見逃すべきではない。石炭も役割を否定するのではなく,アンモニア混焼などを通じ,CO2 排出を抑制しながら活用するのが現実的である」
『日本経済新聞』の立場から提示される原発観は,いつもこうした「原発有用観」であった。本音では「再生可能エネルギーの活用や省エネにくわえ,原子力の役割も見逃すべきではない」といいたいのではなくて,まずなによりも「原子力の役割も見逃すべきではない」し,そのかぎりで「再生可能エネルギーの活用や省エネに」に励むべきだ,といいたかった。
2025年になるまでは「再生可能エネルギーと原子力(原発)」というふうに「仲間として認定させる発想」が示されてきたが,これこそ「清水と汚水をいっしょくたにする悪手」であった。
d) 「富士山会合 ヤングフォーラム」(35面「特集」)
この紙面からは「電源別発電コストの数値」に注目したい。
原発のコストが2030年でもまだ11円台だと記入されていた。だが,実質=実態は,このような金額で推移するとは,とても予想できない。無理が過ぎる数値が記入してあった。
近いうちに原発コストは,いままでありえなかった高い水準にまで到達していく可能性が大である。この事実は,2030年の以前に必らず判明するはずである。この点は現在までもすでに,その予想・予測として分かりきっていた事項である。
廃炉関連の工程管理から発生する原価の問題を抜きにした議論に説得力はない。そこからは収益に相当する費目はいっさい存在しない。その代わり,恐ろしいくらいの原価・経費(廃炉費用,被災者被災地補償,各地放射性物質の後始末など)は,これから未来にかけてドンドン増えていく見通しかなかった。
しかし実際のところ,廃炉関連の経費発生の問題も含めて原発関連のコストは,とくに日本の場合は「ヒ,ミ,ツ」な要素が多い。安価なら喜んで公開するはずだが,高価なのだからそうはいかず,いろいろ化粧直し(もちろん厚化粧)をくわえた数値しか公表できない。それだけのことである。
本ブログ筆者は,吉野 実『「廃炉」という幻想-福島第1原発事故,本当の物語-』光文社,2022年2月を読んでみ。人類・人間が《悪魔の火》に手を出した結果,その「原発の後始末」するといっても,いかに手強い相手を呼びこんでしまったか,いまとなってはその事実を嫌というほど教えこまれている。
ケンカをするにしてもあまりにも強い相手が原発・原子力であった。チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故を起こしてきたが,その初めから「負けが分かっているそのケンカ」の結果であっ事実は,いまさら特筆大書するまでもない。旧ソ連邦でいまのウクライナのチェルノブイリ(チョルノービリ)で,放射性まみれになったがゆえに放棄された地域が残された事実も,ここで指摘するまでもなく,周知の事実。
日本の福島県においては,その制限がきわめて緩く甘い日本の基準であっても,やはり高度に汚染された地域は残った。そのほかの森林地帯などのなかにスポット的,あるいは帯状的に放射能の汚染された場所がいくらでもみつかっている。
人類・人間どもが,原子力の平和利用などだと「誰かに教唆されて」原発を利用しだしたがために,いまとなっては「滅相もないその後始末作業」に取り組みつづけねばならない苦境のなかに追いこまれている。
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