この本に出会えたとき、ピアノをやっていてよかったと思った。
生まれたときにはもう家にピアノがあって、3歳くらいから鍵盤を触り始め、幼稚園の時には音楽教室に通い、小学生になったらピアノ個人レッスンに通っている。そんな子どもでした。習い事はいろいろある中でピアノは相性が良かったらしく、家を出る19歳までずっと続けました。
私はショパンが好きだけど合っていたのはモーツァルトで、根っからのモーツァルト弾きでした。発表会でもコンクールでも、大事なときにはいつもモーツァルト。クラシックが特別好き!というわけではなかったけど、ピアノ習っているんだからクラシックに興味を持つのは自然な流れだよなと思っていました。
私の小さいころはまだ音楽配信なんて便利なものはなく、聞きたい曲があればピアノの先生に借りるかレンタルショップで借りてくる、もしくはお金を貯めてCDを購入するのが普通の世の中。ピアニストの中ではフジコ・ヘミングが好きで、買ったCDをたくさんたくさん聴いて育ちました。一度横浜までコンサートを見に行ったこともあります。晩年の頃のコンサートだったので少々力が弱ってきてしまっていたものの、その生演奏の迫力には感動したのを覚えています。
ピアノを長年やっていると、自分が弾いたことのあるものだけでなく、ほかのさまざまな曲に触れる機会が多くなります。派生していろいろな曲を聴くようになる。そこでまた新たな感動を覚え、知らなかったフレーズに出会えて、結果表現力が磨かれていくのです。
私は特別すごいクラシック通なわけではないけど、それなりに好きな曲、好きな作曲家はいて、ピアノを習わずに来た人に比べればそれ相応の知識を持って生きてきました。この「実は普通じゃなかった」クラシック知識を認識したのが、7年前のこと。とある本に出会ったとき、それを強く認識したんです。その本とは・・・
『蜜蜂と遠雷』恩田陸 著
2017年本屋大賞受賞。
当時まだ前の会社で働いていたのですが、同僚に本好き・クラシック好きがいて勧められて読んだ本です。単行本の出立ちがかっこよくて本屋で見つけるなり即買いしたのを覚えています。
読み始めると、小説を読んでいるのに音楽を聴いている感覚に陥ります。文字を追うなり音が脳に流れてくる不思議な体験。こんなのは初めてでした。物語はとあるピアノコンクールを題材として進んでいきますが、出てくる曲の捉え方、表現力が秀逸で、まるで自分もそのコンクール会場にいるかのよう。
ピアノをやってきてよかった。
読み進めていくうちに気づいたんです。この本のすごいところを全部享受できたのは、ピアノとはどういうものか、コンクールの怖さとは何か、作中に出てくるクラシック曲の旋律、これらを「私は知っている」から。特に曲を知っているというのは大きかった。曲を知っているから恩田さんの豊かな表現力のすごさを感じられ、登場人物の想いに共感できた。これは、ピアノとは、クラシックとはを知っていないと作者の意図するものを理解するのは難儀だと思ったのです。
ピアノと読書がこんなに結びついた体験は初めてで、読了後にはなんとも言えない幸福感を得ました。さっき本棚を見に行ったらちゃんと単行本が大切にしまわれていたので、また読み返してみようと思います。あの体験はほかでは感じたことがない体験。またあの時のように感じられるかはわからないけれど、7年前の自分と今の自分、どう感じ方が変わるのか、それともやっぱり同じような捉え方をするのか、また知りたいなと思いました。
読み返したいと思えるほどの本は貴重。
出会えてよかった一冊です。