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ハイパー小学生の会話に学ぶ。論理とはこういうこと。


小学生が二人で会話をしている場面に出くわしました。

少女:これ川かな?

少年:いや、池じゃない?水流ないから

少女:あーたしかに


小学3年生くらいの子の会話なんですけど、レベル高すぎません?
そんなワードがそこで出てくるんかい!
何かゲームをしながらだったようで、そこで出てきた「池なのか川なのかわからない、水の張ってあるなにか」を見て彼らなりの解釈をした様子。

「池じゃない?水流ないから」

このインパクトたるやいかに。
小学生ですよ、小学生。
この年代の子ってこんなに語彙レベル高かったっけ?!
論理展開もばっちりで、「池じゃない?」だけで終わらせずそれに至った理由「水流ないから」をきちんと提示してる。
受け取った側もしっかり理解しての「あーなるほど」。
君らすごすぎでしょ。。。

何か意見を言うときは根拠をもって発言しようと心がけているものの、どうしてもさぼってしまって「なんとなく」を提示してしまう自分を反省しました。会話って結構適当にやっても成立しちゃうものだから、なんとなくの意見も「なるほどねー」なんて言われがち。相手結局聞いてないじゃん、なんてよくあることです。
それなのに論理展開ばっちりな彼らの短い会話。
なんかもう「すごい」しかでてこなかった。


ちなみに「川と池」の違いをあらためて辞書で引いてみました。

【川】
自然の水がだんだんに集まり、陸地のくぼんだ所を流れる(帯のような)水路。一般に、山から発して海にそそぐ。自然にできた水の流れのこと。
流水。陸を流れる水の道。

【池】
地面に、ある程度の広さと深さとで、いつも水のたまっている所。大きな水たまり。一般に、人工的に作られたもの。
水をたたえておくところ。小さい湖。城の周りのほり。

あの小学生たちがこの意味を正確に把握していたかどうかはわからないけれど、彼らなりの知識として「川=流れのあるもの」「池=水が溜まっているもの」という前提があったんでしょう。
なんて賢い子たちだ。見習わなければ。

小学生のふとした会話。そこにはきちんと論理が入っていました。

論理の論は「自らの主観に基づく考えの総体」
論理の理は「誰の目にも明らかな客観的事実」

        ↓
池じゃない?(主観)水流ないから(客観)


とても信頼できる意見で素晴らしい。
彼らのこれは会話の形をした「議論」だったんだな。
いやはやほんとお見事でした👏👏👏


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