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【カルチャー】成人の思い出なんて「カラマーゾフの兄弟」をウンウン言いながら読んでいた思い出しかない。

昨年末、過去3回読了したカラマーゾフの兄弟を読み終わった。

私が初めてカラマーゾフの兄弟を読んだのは20歳のとき。つまり(当時の)成人のときである。「人間のすべてが詰まっている」とまで言われた世界文学の最高峰は、過剰な自意識を抱え込みながら、やがて突入することとなる社会のとば口に片足を突っ込み抜き差しならなくなっていた当時の私に、大きな衝撃を与えた。

純粋なアリョーシャ、ニヒルなイワン、豪傑なミーチャ。カラマーゾフ(黒黒塗り)の3兄弟たちのパーソナリティに自身を投影してみては、彼らに深い共感を抱いた。

自分の思いをうまく言葉にできなかった内気な私にとって、彼らの複雑な心の内を、時に屈託の満ちた言葉で、時に鮮やかな言葉で、見事なまでに描き出すドストエフスキーは、私にとってのヒーローだった。

それ以来ドストエフスキーの4大長編(罪と罰、悪霊、白痴)にも次々と挑戦し、どれも深い感動を抱いた。どの作品も社会人になってからも2回、3回と繰り返し読んだ。

野暮を承知で順位づけをするとしたら、

  1. 悪霊

  2. 罪と罰

  3. カラマーゾフの兄弟

  4. 白痴

と言ったところであろうか。意外とカラマーゾフが低い結果となってしまう。

カラマーゾフは当時の感動が強すぎるせいか、今読むと「まあ、そうだよな」という訳知り顔なしかできなくなってしまうのである。それだけ大人になったという証拠なのか分からないが。

悪霊と罪と罰の素晴らしさについては、ここで書くと長くなってしまうが、一言で言うなら悪霊は「同時代性」、罪と罰は「作品のまとまりの良さ」と言ったとこであろうか。その点、カラマーゾフはどちらにもちょっと劣るところがありそうな気がしないでもない。

ちなみに、先日からトルストイのアンナ・カレーニナを読み始めている。この作品も、カラマーゾフと同様世界文学の最高峰と名高い名作である。

ただ、お恥ずかしながらアンナ・カレーニナは今まで一度もページを開いたことがなく、"アンナ・カレーニナの法則"と言うジンクスを生んだ有名な冒頭文「すべての幸せな家庭は似ている。不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である。」さえ、つい最近まで知らなかった。と言うか、アンナ・カレーニナの法則さえも、ついこの間生物学を専門としている友人から聞いて知った始末である。

どのみち、30歳になった私に、アンナ・カレーニナはどれほどの感動を与えてくれるのか今から楽しみである。

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