毎日noteについて思うこと INFJの心の安寧
つい先日、365日継続の記念バッジをもらった。そっか一年経ったんだ!
私の習慣になってしまったnote。飽き性と自認してきたけど、今のところ毎日投稿にさほど苦もないので飽きるまでは続けようかな。
毎日やることのなかで、noteの記事を書いて投稿することは、『洗濯物を畳む』以上『珈琲を飲む』未満の立ち位置。ちょっとへんな例えかな。
私は毎朝ジャーナリング用のノートに万年筆で今日すべきことをTodo listとして書き込むんだけど、毎日まず『洗たくたたみ』って書き込んでるの。じゃないと忘れてしまうから。書いてても、ガス乾燥機の中に入れっぱなしで、風呂に入る直前になって、あ、忘れてたってなる。わりと好きなのにね。
珈琲は飲みたいから忘れない。たぶんそれと似た感じでnoteも書きたいから忘れない。
正確にいうと、記事を作らない日もあるけど、何書こうかなって常に考えて生活しててそれが楽しい。1日に2、3記事書く日もあれば、何書こうかなって考えてるだけの日もある。結果的に毎日は投稿してる。
毎日投稿している理由について考えてみた。
わりと時間があるから フルタイムで働いてた頃なら無理だったかもと思う
人に見せないジャーナリングとは違う文章ができあがるから そんなこと書いた自分に驚くし楽しい 自分の文章読むの好きよ
記事にしようと日々の観察力が上がるから シャーロックホームズが、ワトソンに階段の段数を質問するシーンがあるんですよ ホームズは何段か知ってて、それが観察力と言う 憧れるよね!
ほんとはもっと記事を作れるときもあるけど1日1投稿に留めてるから 交流も楽しいので遠慮して1記事にしてる 毎日投稿しないと溜まってしまう
頭の中にたくさん浮かぶ考えの排出 出さないとぐるぐる同じことばかり考えてしまい非効率 外に出すと新しい考えが始まる ジャーナリングとの両輪 日々の習慣
もっと時間をかけて記事を書いてもクオリティが上げられる気がしないから 数撃ちゃ当たるって思ってる
毎日の習慣の方が続けやすいから 歯の矯正後に戻らないようにつけてる就寝時のリテーナーも2日に1回でいいと言われてるけど毎日つけてる
INFJとして自己分析はライフワークなんだけど、記事が自己分析となってるから つまり趣味の領域
試行錯誤中 これだあ!という私の『売り』を探してる
こんな感じだろうか……?
noteを始めた当初は、
①右手首を骨折したとき、麻酔科の仕事はこんなことで続けられなくなるんだ、って恐怖にかられ、別の仕事もできるようになりたい、書くことをいずれ収入にしたいと思った
②資産管理会社の雇われ社長としてエナジーバンパイアである親族に搾取されすぎて辞めたくて仕方がなかった 書くことで万が一売れっ子になれて大きな収入を得られたら搾取から逃げられるんじゃないかと思ってた(そんな条件なしに逃げられるようになったヨ 断り上手になりつつある)
書くことを収入にしたいと思ってたんだけど、今はそこまで強くは思ってない。収入になればいいけどならなくてもnoteは楽しくて好きだから書いてる、みたいな感じ。書きたいこと書いてる。現時点で切羽詰まってないしね。
それよりも、承認欲求かも。ずっと周りから浮いてるなぁと思い続けてきた数十年の中で、ようやく私と似た人が集まってる場所見つけた!!みたいな。心の安寧はここにあったのね……。今後ともどうぞよろしくお願いします。