INFJの成長についてのひらめき ドアスラムとエナジーバンパイア
今、「The INFJ Writer」という本を読んでいるのだけれど、モーニングページで有名な「ずっとやりたかったことをやりなさい」と同じく、エナジーバンパイアあるいは自己愛性パーソナリティ障害らしき人との間に境界線を引くことについて書かれている。
ひとつめ。誰かを犠牲者だとみなすことを拒否することは、彼らに彼らの力を返し与える。つまり、エナジーバンパイアの言うことどんどん聞いてあげることは、エナジーバンパイアのためにもならないってことよね。
ふたつめ。境界線を引くのは時間がかかる。今まで彼らの要求に継続的に同意してあげててそれを期待している彼らにノーというのは簡単でも楽しいことでもない。でもノーを言えば言うほど、境界線を尊重すればするほど、犠牲者ぶってる人や悲劇の主人公たちは離れていく。繊細な直感型として、あなたのアンテナを守るのがあなたの仕事、コツをつかめば、あなたが世界へ発信すること、受け取り始める素敵なものごとで、よりあなたは幸せになるだろう。
ふわっと訳しちゃったけど。ノーを言うこと大事。
まだ読書は途中だけど、そこから考えたこと。
もしかしたら、INFJの成長において、適切な境界線を引くことは必ず乗り越えなければいけないものかもしれない、とひらめいた。よく悪名高く描かれているドアスラムも、この境界線を引く行為なんじゃないか。それならば、ドアスラムはINFJにとっては悪ではなく……。ドアスラムのあとに自分が苦しまないように赦しもセットで行えたほうがいいのかも。お互い未熟で成長のための試練のように感じている。まるで大人になるための儀式かのよう。
INFJはこんこんと湧き出るエネルギーの源泉のようなものを心の中に持っていて、周りに分け与えようとする面がある。そこで多くのINFJは一度はエナジーバンパイアと遭遇する。彼らにとっては抗いがたくエネルギーを奪いたくなるんだろう。INFJは、ここで適切な境界線を引く試練を乗り越えてやっと創造的な人生を歩むんじゃないだろうか。
急に、悟った!みたいに感じたので、まとまらないままですが記事にしました。そういえば、私、「Bounderies」という本も4年前にKindleで購入して積んでいる。これも読もう。
ちなみに、私の思うエナジーバンパイアは、「周りが全部悪い、私はすごく不幸」って言う人たちです。よく聞くとね、「私自身にも至らない点はあったんだけど」なんて言わない人たち。ぜんぶ周りのせい。善と悪があれば、自分は完璧な善だと思い込んでいるように感じます。その不幸な出来事の何%かはあなたにも原因があるんじゃないの……なんて言えばたぶん激昂しそうなので言いませんが。自分にも原因があるかもと考えられれば、改善のために自分が頑張れる余地があると思うんだけどな。こっちだって建設的な話ならいくらでも聞けるのに。
そういう人とは距離を置こう。大丈夫、彼らは次のターゲットを探しに行くし、ある意味すごくメンタル強い。ノーを言ってみての経験です。甘い蜜を忘れられず、しれっと何回も戻ってきたりします。傷つけてしまったかも、とこちらがクヨクヨする必要はなかったです。絶対自分を満たすエネルギーは自分で作れるはずです、あの人たち。自分が持っているものに気づいていないか、または、ただケチってるだけだった。信じてあげましょう。ちゃんと力のある個人です。そして私は救世主になれた!と有頂天になる気持ちよさに依存するのはやめよう。全て他人任せになって自分でもなんとかしたいと思わない人を、完全に救うなんてできないよね。それは傲慢。
〇〇したいんだね。あなたのことは大事にしたいと思ってる。でも私はここまでしかできないよ。手伝いはできても全部を引き受けることはできない。できないことを心苦しく思ってる。これ以上は手助けできないけど、あなたの〇〇したい気持ちは尊重してるし応援はしてる。自分でできる力はあるはずよ。頑張ってみて。そんなスタンスです……。伝わるかしら。
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