目的があって活動がある
小学校の先生で、2児の父、雄剛です。
「最近の職員会議は、提案の仕方を間違っている。目的があるから活動がある。なのに、最近は時間を短縮するために、一番重要な目的を省略して、活動内容ややり方ばっかり話している。目的が明確でなかったら、時間をかけて取り組んだって子どもたちにはなんにも残らないのに。」
若い頃、先輩に教えてもらった言葉です。
20年近く前のことなのに、最近この言葉が心から離れません。年度末。今の学年の締めくくりとともに、来年度に向けて教育課程を見直す時期です。
行事の削減、取り組みのスリム化…
教育課程の見直しで出てくるのは、以下のようなもの。
①運動会・発表会の縮小
時数確保のために準備にかかる時間を縮小し、その時間内でできる内容を考える。
②卒業文集の廃止
卒業アルバムに載せるための手間を省くため
③その他諸々
子どもたちの提出物に対するコメントを足並みを揃えてやめる…などなど
縮小して本来の目的は果たせるか?子どもたちの成長につながるか?
ここ数年は、「働き方改革」「時数確保」「コロナの影響」が相まって、いろいろなことが縮小、削減されています。これ自体は素晴らしいことだと思うし、取り組むべきことだと思うのですが、そもそもの目的がないがしろになっているように感じます。運動会で最初はできなかったこと、達成できなかった目標に、諦めずに取り組むことで乗り越える経験。発表会を自分たちで話し合い、作り上げていくことを通しての育ち。卒業アルバムという一生残るものに想いを綴る緊張感と、今の自分と本気で向き合う経験。私は、全部やらせてあげたい!そして、やりきったという思いで進級、卒業してほしい!
そう思っているのですが…こういう考えはもう古いのかな?こういう考えが働き方改革を妨げているのでしょうか?