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指導をためらってはいけない!

小学校の先生で、2児の父、雄剛です。

先日の記事に引き続き、特別支援学級の授業を見学した時の学びから…。

先日、特別支援学級の授業を見に行く機会がありました。いや〜、素晴らしい授業だったんです。何が素晴らしいって、とても落ち着いてしっかり話を聞く姿、そしてだからこそ基礎技能がしっかり行き渡り、それを使って試行錯誤する姿、わからない時には自然と子どもたち同士で交流する姿が見られたんです。だって、特別支援の子たちって、そこに苦手があるから特別な支援を受けているのに、通常のクラスでもできない様な立派な学ぶ姿を見せてくれるなんて…。

教科書ではない持ち込みの教材だから…という教材の良さによる部分もありましたが、それ以上に日常の積み重ねが光る授業でした。

指導することは悪?

最近、こんな言葉を聞きました。
「あそこのクラスは、ピシッとしていて一見落ち着いているように見えるけれど、あれは恐怖で子どもたちを支配しているだけ。私のクラスは、ちょっと落ち着きはないけれど、そういう恐怖で支配するのではなく、『子どもたちのやりたい』を大切にしている。」

こういう考え方って、けっこう増えてきていますよね。「指導することは悪だ!子どもの主体性こそ大事!」。私の勤務する地域では、これが主流になりつつある気がします。でも、私は「本当かな?」と思っています。

「恐怖で支配している」と言われていた先生。この先生の様子を見ていると、やっていることはいたってシンプル。「悪いものは悪い!いいものはいい!」悪い時には叱るし、いい時には思いきりほめる!楽しむときは、思い切り子どもたちと楽しむ!そんな先生です。だから、学級の子どもたちは、この先生を信頼しているし、休み時間には先生の周りに人が集まります。ただの恐怖だけでは、こうはなりませんよね?「悪いものは悪い!ダメなものはダメ!」その線引きをきちんとして、みんなが安心できる環境を作るからこそ、授業が成立し、前向きに取り組もうとする空間ができる!指導すべきことはきちんと指導して、そういう最低限の環境を整えてあげた土台の上に、子どもたちの「これをやってみたい!」「こんなことに挑戦したい!」という主体的な取り組みが生まれる。

教えることは悪?

研究授業で体育をする時に、よく話題になること…。

「『教えること』と『考えさせること』を区別することが大事!子どもたちが考えても気付けないことを一生懸命考えさせても意味がない。それは『教えること』。教えた上で、それをどう使いこなすかが『考えさせること』。」

最近、「個別最適」が叫ばれていますよね。「学びのコントローラーは子どもがもつべき」。子ども自身が課題を見付け、それを追求できる授業…。いいですね。そこに反論はありません。でも、それが子どもまかせであってはいけないと思うんです。

「教えるべきことは、教える!」

考える土台となるものを教えずに、「さあ、自由に考えてごらん!」と言われても無理ですよね。でも、最近は先生が一方的に教えることに躊躇して、教えるべきことを教えずに、丸投げするような授業もあるように感じます。きちんと必要なことを教えた土台の上でこそ、子どもが自由に学べる授業が成り立つ。

「指導することをためらってはいけない!」

これは、特別支援学級の授業を見た研究主任の言葉です。本当にその通りだなぁと思いました。今回の授業は、まさにそんな日々の指導の積み重ねが光る授業でした。

土台作りの指導には、しっかり力を入れていきたいですね!

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