一斉授業の上に個別最適が成り立つ?
小学校の先生で、2児の父、雄剛です。
最近、こんな記事を読みました。
「研究授業でまだ一斉授業やっているのか。興味がわかなかった。」
「立ち歩きは悪ですか?」
「個別最適」が叫ばれるようになり、今学校・研究も変わろうとしています。一人ひとりが自分で学びのコントローラーをもち、課題意識をもったことをそれぞれ追求していく…。とても大事な考え方だとは思うのですが、これをするには強固な土台が必要だと考えています。
秩序の上に自由は育つ!
「個別最適」に代表される通り、集団として…というよりも、一人ひとりがとても大切にされる時代になりました。一人ひとりが、自分の好きなことを、選択して好きなようにできる。自由で、のびのび…。これ自体はいいですよね。
でも、「自由で、のびのび」の土台には、秩序が不可欠だと私は思っています。自由には、責任が伴う。「法の下の平等」と一緒で、「相手の自由を侵害しない限りにおいて」の自由。その秩序がなければ、誰かの自由が侵される。誰かが自分たちのやりたい放題やって、周りが嫌な想いをしていれば、一部の人だけの自由が成り立っている状態ですよね。だからこそ、自由とは相反するようですが、まずは集団としての秩序を守る土台を築くことが、自由を育てる第一歩だと考えています。そして、その秩序が、個別最適に一人ひとりが学びに向かう姿勢の土台になると、考えています。
一斉授業の上に個別最適が育つ!
熱心な先生ほど「今さら一斉指導なんて…」という感覚が強いように思います。でも、相反するようですが、私は一斉授業こそ個別最適の土台になると考えています。
まずは、一斉授業で聞く力・課題との向き合い方を育む!
個別最適は、自分自身で課題意識をもつことが出発点ですよね。その課題意識をもつには、やっぱり最初の先生の仕掛け、投げかけ、発問が大事だと思います。そこがきちんと理解できずに方向性がずれた課題意識、ただ自分やりたい放題にやろうという意識で単元に入ったところで、学習として成り立たなくなってしまいますよね。まずは一斉指導で先生・友達の話しを聞き、課題意識をもって解決する訓練が必要です。
一斉授業で学習の学び方を学ぶ!
体育でこんな授業をよく見かけます。球技でチーム練習を導入。キャプテンを中心に自分たちで練習しているようで…。そこに意図はなく、ただ遊んでいるだけ。こうならないようにするためには、事前にどんな練習があるのか?その練習が、どんな効果を生むのか?どんな課題を解決するために、どの練習が適しているのか?学び方を教えずに、学びのコントローラーを渡すのはただの放置。学べるのは、学び方を知っている一部の子だけになってしまいます。
土台が揺らげば、個別最適は成り立たない…
まずは、クラスの秩序を作り、一斉授業でしっかり学び方を学び、それからやっと段階的に個別最適を取り入れていくことができるんだろうなと思っています。
私は臆することなく、秩序を守る指導をし、一斉授業で子どもたちを育てながら、少しずつ学びのコントローラーを渡せる部分を増やしていけるように頑張っていきます。…となると、結局はやっていることは従来通りなんですけどね。