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良かれと思ったことが、負担になるなんて…

小学校の先生で、2児の父、雄剛です。

お隣のクラスの先生が体調不良から復活して戻ってきました。子どもたちは、若くて優しい担任が大好き。大喜びで周りを囲んでいます。でも、クラスが苦しい状況には変わりはありません。ここから、担任の頑張りだけでなく、それを支える学年や、学校としての手立てがさらに必要だなと思っています。

今の学校としての支えは…

学びのサポーターや担任外などの先生をどんどん投入して、一人きりの時間を作らないようにする…。

どうしても、うまくいかなくて癇癪を起したり、教室を出てしまったりする子がいるので、そこにすぐに対応できる体制を整えています。

お休み中に代わりに入った先生の感想は?

ベテランの先生が、2日間クラスに入ってくれました。感想は…

「よかれと思って常に誰か見守る人を付けているのかもしれないけど、あれやりづらいわ〜。ずっと見張られているみたい。若い先生ならなおさらやりづらいんじゃない?」

私も大変なクラスをもつことが多いので、常に誰かが張り付いている状況を経験したことがあるのですが、正直やりづらいんですよね。お手伝いに入ってくれる方は、なんとも思ってないとは思うのですが、全てを見られるってやりづらい…。ちょっと大変でも、1人で任せてくれたほうがのびのびできる…。

私は、断ってしまいました…

学校として、常に誰かが見守る体制を取るとき、私はいつも早い段階で断っています。

「ちょっとここは、私に預けてもらっていいですか?大変なのはわかるけど、まずはしっかりと子どもたちと向き合いたい。今までも見守ってきた先生たちがいると甘えてしまうし、そこでそういう関係のままでいると、変わるきっかけを失ってしまうから、とりあえず1人でいけるところまでいかせてください!」

よかれと思っても、一方的な手立てはもしかして余計なお世話かも…

これは子どもとの関係でも一緒ですよね。一方的な思いでする手立ては、本人にとってどうかはわかりません。若い先生だと「ちょっと1人でやらせてください!」とは言いづらいですよね。やっぱり、大変な状況の先生に「どういうサポートが必要なのか?」「本当に困っていることは何か?」をきちんと話してもらいながら、対応を決めていくことが大事。

先生と学校も対話が必要!

こう考えると、学級経営も学校経営も一緒ですね。


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