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それは誰のスキーだい?

小学校の先生で、2児の父、雄剛です。

私の勤務地は雪国なので、体育の中にスキーが位置付けられています。この時期になると、グラウンドに重機で雪をかき集めて、山を作ります。そこで練習をし、中・高学年はスキー遠足へと繋げていくんですよね。今年は例年よりもだいぶ雪が少なく、小さい、小さい、とっっっても小さい山ができています。

これから始まるスキー学習に向けて、子どもたちはスキーの板とブーツを学校に持ってくることになるのですが…。スキーの板とブーツってけっこう重たいから大変なんですよね。

スキーの準備に、各家庭の考え方が見えてくる!

①スキーの板も、ブーツも一気に自分で持っていけ!
このパターンは、比較的あんまり子どものことを考えていないパターンですね。高学年でも、ランドセルを持って、しかも板もブーツも持って10分以上歩いて登校するのはけっこうきつい…。そういうことを考えず、ただただ「今日持っていく日なんだから、いいから持っていけ!」は、必要な関与(世話)が足りないタイプか、または、厳しすぎるタイプ。

②スキーの板とブーツを別々の日に、自分で持って行ってね!
このパターンは、比較的適度な関与のパターンではないでしょうか。自分のできることは、自分で。だけど、負担が大きすぎないように配慮は忘れない。

➂スキーの板とブーツを車に乗せて運んであげるよ!
このパターンは、低学年であれば適度な関与。そして高学年に連れて関与が強めのパターンではないかなと思います。

最近は、どのパターンが多いと思いますか?

体感としては、③が多いですね。まあ、けっこうな重さと長さがあるので、車で運んでもらうことも仕方ないかなとは思うんです。

ただ、このパターンにはある問題点があるんです。それはなんでしょう?









車でスキーを運んでもらう子たちが来るのは、だいたい放課後。玄関には鍵が閉まっているので、まずインターフォンを押します。そうすると、職員室で誰が来たかモニターが映りますよね。

そのモニターを見ると、9割、いやほぼ10割と言っていいくらい
 ・スキー板とブーツを抱える保護者
 ・その後ろに手ぶらで立っている子ども
の様子が映っています。

それは誰のスキーだい?

「スキーを置きに来ました。」
「はい、どうぞー。お入りください。」

校内に入っても、持って運ぶのは保護者。それに手ぶらでその後を付いていく子ども…。

魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える!

この姿を見ていると、すごく違和感があるんですよね。その違和感の正体は、まさにこの言葉なんだろうなと思います。

親として、先生として、自分にできることって何だろう…?そう考えた時に、大変なこと、辛いことを全て取り除いてあげることではないと思っているんです。

大変なこと、辛いことを乗り越えられる力をつけること。そのためには、基本的に自分でできることは自分でやらせる。その上で、困る部分は乗り越える方法を一緒に考えたり、無理なところだけお手伝いをしてあげたり、適度な関与をしてあげることが大切なんだろうなと思います。

こういう姿は、スキーだけでなく、宿泊学習や修学旅行で登下校する時の様子にも表れると思っているのですが、皆さんの地域ではどうでしょうか?

親として、先生として、子どもたちにできることは
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える!」
私はこのことを忘れないようにしたいなと思っています。



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