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大は小を兼ねる。 大きいものであれば 小さいものの用途にもなること。 これを1日の人の気持ちに置き換える。 小さい出来事によって、 良い1日であったか、そうでなかったか 左右される。 そう感じたのは今日の電車の中。 今日は仕事を早く切り上げ、 社内の方と美味しいご飯を食べた。 ここまではとても幸せな1日。 既に終電も近い。 酔っている人も多い。 おそらくその女性も酔っていた。 立っていた女性は電車の揺れで、 スーツの男性へぶつかった。 すると、その男性は 女性
母には「何でそんなになってしまったの?」 と私の考えすぎる性格に疑問を抱かれる。 きっとこの性格は治らない。 夢中になれることに対しては 昼夜関係なく没頭し続けられる。 そんなときは何でもできる気がする。 頑張れる時こそ親にも連絡は自分からしない。 熱狂し続けることが楽しい。 そんな時期ももちろんある。 しかし、 ある日プツンと何かが切れる時がある。 仕事をしていてもどこか上の空。 言葉では表現できない不安に駆られる。 他人からの些細な言葉が引っかかる。 全てに
私が評価されたときっていつなんだろう。 と、考えるようになったのは「成果」「評価」を重んじる小さな組織にいるからだと思う。 誰かと比べられるのは誰でも嫌だろう。 私は何よりそれがストレスに感じてしまう。 ただ今の環境下では、 それを避けることは難しい。 評価されたと感じたこと。 パッと頭に浮かぶものが1つあった。 AD時代、寝ずに働き続けたとき。 いや、これは昭和すぎるし賢くない。 と、誰もが思うだろう。 しかし、これが私の中の常識だった。 つくづく新卒で入る会社
私は1人っ子だが、 将来自分の子どもは1人っ子にはしたくない。 決して1人っ子が嫌なわけではない。 幼い頃は、 大好きな家族を1人占めできた。 美味しいケーキもワンホールで食べていた。 何よりたくさんの愛情を注いでもらった。 母からは 「きょうだいほしい?」と何度も聞かれた。 大学生になってから 聞かれたときには驚いたが...。 私は即答で 「いらない!!」と 答えていたことを覚えている。 何でも一人占めできるという単純な理由から。 今社会人になってみると、 「
自分次第で全ては好転する。 世界一の悲劇のヒロインにもなれる。 これは社長との面談で 「成長したかなんて自分の解釈と伝え方次第、ポジティブに捉えないと成長も評価もゼロ」 なんて言葉をもらったときに、 私が勝手に解釈をした。 そして、ある人のnoteでさっき見かけた。 100年は36,500日ということ。 人生って短い。 気持ちの持ちようで、全ては一変する。 転職を心に決めた先輩と話した時にも 同じことを感じた。 「やりたいことを見つけた」と 目を輝かせながら楽
まだ28歳。 もう28歳。 どちらにも捉えられるが、 今の私は後者と考える。 反感を買うかもしれないが、 どうか許してほしい。 なぜなら、今の私は 若いメンバーと共に働いている。 歳で言えば1番上の世代。 エネルギッシュでフレッシュ。 スポンジのような吸収ができる世代。 既に私は1社目で得た 水を吸収しすぎている世代。 昨年までは届かなかった夢、 なりたかったものにひたすら向かってた。 仕事のモチベーションはそこにしかなかった。 辛くても、寝れなくても、 ひた
今の私が置かれている環境。 住む場所。 働く場所。 一緒に過ごす人たち。 全ては自身で選択してきた結果だ。 たまにそんなことさえ忘れて、不甲斐なさや自分の順応できなさに 落ち込んだりもする。 今この場所で過ごすことも、仕事も全て自分でコントロールした結果だ。 そこで原点を振り返ってみようと思う。 私は何を求めて今に至ったのか。 今の状況へと突き動かした原因はなんだったのか。 答えはとても単純だ。 それは「テレビっ子」だったこと。 私は一人っ子であり、家族全員がテ
「場をつなごうとしなそうですよね!」 何の嫌味もなく純粋な眼差しでそんなことを言われた。 「お客さんに対しての会話は気遣いますよ!」と 即座に全力で否定をした私だが、図星だった。 これは決して私の中ではネガには捉えていない。 きっとその発言をした人も悪い捉え方ではないはず。 と、ポジティブに考えておこうと思う。 私は会話を頑張らない。 もちろん必要な時にはしっかり予習もして会話が途切れないよう その場に成果を残せるよう発言をする場面もある。 ただ私は、相手への気遣い
小学生の私は長すぎる夏休みがキライだった。 クラスの好きな子に会えない。 大好きな先生や友達に会えない。 授業が恋しい。 そんな純粋な理由ではない。 長い休みの中でたった1日でも、 予定ゼロの日があることに耐えられなかったのだ。 そんな日は母に「どこかいきたい!」と泣いて訴えかけていた。 あの頃の私に言ってあげたい。 暇って素晴らしいんだよ。 休むって大事だんだよ。 毎日働くお母さんだから休みの日は家にいたいんだよ。 お母さんに謝りなさい。 1日くらい家でゆっくりす
ラグジュアリー体験。 そう聞くと何を想像するだろう。 夜景が見える高級レストランでの食事? 一泊数十万円のホテル宿泊? 豪華客船でのヨーロッパ旅行? そもそも私の口から「ラグジュアリー体験」 という言葉が出てくること自体 数ヶ月前は、考えることはできなかった。 ただ最近柄にもなく「ラグジュアリーって なんだろう?」と考える機会が多いのだ。 おそらく仕事柄。 このように考えることはできる。 しかし、富裕層でも経営者でもない私が 「ラグジュアリー体験」を知るはずがない
今日のランチは職場近くの鮭定食。 好きな食べ物を聞かれるとすかさず 「白米」と答える、私は大の和食好きだ。 父からはよく 「1粒も残さずご飯は食べなさい」と 言われて育ってきた。 なんの苦痛でもなかった。 むしろ お味噌汁をかけたり きゅうりのQちゃんをのせてみたり お茶をかけてみたり 創意工夫をそこで学んだ。 白米だけでも美味しいと感じることはできる。 たまにおかずがないと 食べることができない人がいるけれど、 私は白米の味を楽しむことができる幸せ者。 何故
苦手なものは避けて通る。 他の人にお任せする。 長所を伸ばせばそれでいい。 自分の身の丈に合った場所で過ごす。 燃え尽き症候群の尾を引いている最中、 ある日そんなことを許されない状況に 置かれるときがきた。 仕事で大切なお客様に対する対応や 会社の信頼に関わる立場になったとき、 自分の苦手がそこにあることが 明らかになった。 次々に出てくるお客様からの質問と スケジュール調整の数々。 自分の経験と知識不足によって的確な 解答ができない。 私の対応はお客様へ懸念を持た
中学生の卒業アルバムには 妹にしたいランキングに入っていた。 さすが、数年を共にしたクラスメイト。 私は確実に世話を焼かれるタイプである。 このことは社会人になっても変わらず。 以下は新卒で入った1社目(テレビ業界)。 入社したばかりの会社では、 ジャイアンのような先輩に いじめられたりもした。 「お前が鬱になるまで追い込むからな。」 なんて言われることは日常茶飯事。 そんな先輩とも数ヶ月経つと仲良くなれた。 どう関係を構築したかは、また後日伝えたい。 当時の私
私はいつも淡々としている。ようだ。 それは個性だと思っているが、 ある一定を超えるとアドレナリンが出て 感情にも話し方にも抑揚が出てくる。 多分この少しの差は自分にしかわからない。 アドレナリンが出るとき、 それは時間に追い込まれたときだ。 きっと人は追い込まれたら焦りを感じる。 しかし、私はそれと同時に テンションが上がり今こそ楽しむべき! という泥くさいマインドが働くのだ。 これ以上下がることはないぞ!と、 振り切ってしまっているある意味諦観の状態。 自分で