小説「Morning」
深夜、イヤホン越しに流れるラジオに心を委ねていると、不意にレモネードの香りがした。そして、それは随分と懐かしい記憶を連れてきた。私が生まれた街の記憶。部活に励む学生や買い物をする人たちの声が聴こえる、思い出したのはそんな夕暮れの景色だった。
その街には大学生まで住んでいたけれど、社会人になって一人暮らしを始めてからは一度も帰っていない。
久々に帰ってみようかな。どうせなら実家にも顔を出そうか。ついでにしばらくお邪魔して。それは迷惑か。
職場に馴染めなくて、会社を辞めた。でもどうしたら良いか、どうしたいのかも分からないまま、最近はあてもなく過ごしてた。幸い貯金はあったし、無理に繋ぎのバイトを探したり、ハロワに行くこともしなかった。かつての忙殺される日々のせいでこれといった趣味もなければ彼氏も居らず、私生活に華はない。SNSやテレビ、動画を見る以外は本当にすることがなく、一日中家に籠ってダラダラと過ごしていた。けれど、ずっとそうしているうちに得体の知れない不安に取り憑かれて、ブルーなことばかり考えるようになってしまって、貯金があるとはいえ先の分からない不安は細い糸を張っているようで煩わしくて、忘れようとしても付きまとってきた。どうにかしたくて、気分転換に近所を散歩をするようにした。太陽の下を歩くのは気持ちよくて気分も楽になったから、このときの私は散歩することが気に入った。散歩をしているときは、今まで気にも留めなかった街の景色がはっきりと見えたような感じがして、ほどよく心の緊張を忘れられた。
けれど体力もなければ完全に精神的余裕を取り戻せたわけではないので、毎日散歩には行けなかった。だから、どうにもブルーなままになっていた。何か他に試せることはないかと色々考えた結果、私は何年ぶりかにラジオを聴いてみることにした。これはただ思いついただけで特に深い考えもなく、軽い気持ちで試したものだったけども、これが結構ハマった。聴こえてくる音楽やパーソナリティーの声は、テレビの同じようなそれより自然と頭に流れ込んでくる。耳だけで全てが完結するからごちゃごちゃしてなくて良い。そして動画を見漁るよりもはるかにリラックス出来た。試してみて正解だった。散歩に行けなくても、これがあると気分はずいぶん楽になった。昼も夜も色々な放送を聴いたりして、私はすっかりラジオにハマっていた。
そうしていたある日、そのラジオがレモネードの香りを運んできた。どうして突然その香りがしたのかはよく分からない。けれどもその香りで思い出したのは生まれた街の記憶と学生時代にもよくラジオを聴いていたということだった。
学生の頃、ラジオは私の身近にあった。けれども、歳を重ねるに連れて疎遠になっていって、そういう時間的な隔たりが「ラジオを聴く」という行為に学生時代の空気を閉じ込めていたのかもしれない。だから唐突に昔のことを思い出したりしたんだと思う。
学生時代の私は今の私を見て何を思うんだろう。
昔の自分と今の自分を見てみれば違いは一目で分かる。学生の頃は自分がこんな風になっていることは想像さえしてなかった。もっと「普通」に生活してるものだとばかり思ってた。日中は働いて、帰り道のコンビニで好きな弁当を買って、家に帰ったら好きなテレビを見ながら晩ごはんを食べて、お風呂に入って寝る。そしてまた仕事へ行く。週末は同僚と呑みに行くか、デパ地下の惣菜コーナーに寄って好きなつまみとお酒を揃えて宅飲みを楽しんで、翌朝は遅い時間に起きる。そんな暮らしが出来たら良いなと思ってた。派手じゃないけど、そういう生活は送れると当たり前のように思ってた。今ならそれがどれほど恵まれたことか、よく分かる。
仕事を辞めたあと少しして、馴染みの商店街をふらついていた時、不思議な感じがしたことを覚えている。普段はそこまで意識しない話し声や呼び込みの声が妙にはっきりと頭の中に入ってきた。雑踏の無愛想なリアリティ。いつもの景色のはずなのに、とてもよそよそしく感じられた。よそよそしい日常。私は一度、この風景から溢れ落ちてしまったからこんな風によそよそしく感じるんだろうか。そうだとしたら、その日常に戻れる日は来るのだろうか。そんなことを考えてしまって、少し寂しくなったこともあった。
私は変わってしまったけど、それを悲しいとは思わない。深夜のラジオを聴きながら、未来に希望を抱いて幸せな眠りに落ちていた学生はもういない。けど、それが悪いことだとも思えない。もしかしたら、それは純粋ではいられなくなった大人の現実逃避なのかもしれないけど、でも変わったお陰で、ブルーな心に優しく光を入れてくれるラジオの存在を知れた。幸せになれる方法を1つ見つけられた。悪くない。
夜はまだまだ朝には気付かない。
今日はもう寝よう。朝になると寝づらくなる。今日は少しだけ気分がいいから、優しい眠りに落ちていけそう。