『コンビニ人間』 感想
村田沙耶香さんのコンビニ人間を読みました。
人は、何を物差しに自分は普通であるだとかあの人はちょっとズレてるだとかを測るのだろう。
古倉恵子は自分の異質さに家族や社会を通して知る。「どうやら自分は普通ではないらしい」と感じながらも落ち込むことなく淡々と社会に馴染もうとする姿が、不気味でもありユーモラスでもある。
家族の「治って」の言葉から、恵子は普通であろうとする。勤めるコンビニの中で同僚の女性店員の口調や振る舞いを真似ながら普通を纏って働く。近くにいる人物が変われば、恵子もその人物の影響によって人柄が変わったようになる。
この作品のいちばん好きな描写、
思わず恵子に突っ込みたくなった。妹はずっと前から同じだと思う。きっと変わってないと思うよと。
これが古倉恵子なのだ。私がそうであるから、妹もそうであるだろうと考える。後半はクスッとする会話のやり取りもあって笑ってしまった。お笑いかなて。
生きるとは難しい。私を取り巻く人々、社会にどう見られているのか、それらの普通への期待に応えようとすると自分を見失い窮屈になる。
何が幸せでどう生きていきたいのかを考えさせられた。
私が良ければいいんじゃない?私が幸せなら問題ないでしょう。
そんな人生の選択ができたら良いなと思った。