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7歳のときに母が亡くなった話
7歳のころ、小学一年生ですね。
母が亡くなりました。
朝、いつもと同じ時間、学校に行くために父に起こされた時、父の表情がいつもと違うことに小学生ながら気が付きました。
「大事な話がある」
座敷に行くと顔に白い布がかけられて寝ている母の姿が。
そこからは覚えていません。
学校を休んで、1日中泣いていました。
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皆様、親の死について考えた経験はありますでしょうか。
本日は皆様のお時間を少しだけいただいて、母の死について私が記憶していること、思うところをお話してまいります。
ご興味ある方はお付き合いください。
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はじめましての方ははじめまして。ぼずと申します。
自己紹介についてはこちらの記事をご覧ください。
とても同じ人間が書いたとは思えないほど、かしこまりながら毒を吐いております。
さて、お話を15年前に戻します。
突然の別れ
母は亡くなる数ヶ月前から入院していました。
「ちょっと身体が悪いだけだろうな。」
「またすぐ一緒に暮らせるようになる。」
ということさえも考えないぐらい、何も心配していませんでした。
髪も抜け落ち、やせ細った母のお見舞いに何度も行っていたのに何もわかっていなかった。
とある日、私は学校を早退して、父の車で母が入院している病院に向かいました。
車中で父に「お前、お母ちゃんの姿見て笑うなよ。」と言われまして。
何がなんだかわからずに病室へ。
そこには全身チューブで繋がれた母がいました。
「どういうこと?」
もはや話すことも出来ない母に学校の話をして、握手をして帰りました。
そして次の日の朝、母にもう会えないことを始めて知ります。
わけがわからなかった。
昨日と同じような顔をしているのに、動かない。
昨日と同じように手を握っても、反応がない。
重たくて、冷たい手。
ぼくはまだ、昨日の握手の感覚を覚えているのに。
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母がいない
7歳の自分にとって、「母がいない」ということはすぐに受け入れられるものではありませんでした。
使われなくなった母の茶碗。
母のお気に入りの服、バッグ。
母が好きだったTV番組。
運動会や授業参観、入学式では
「どうしてうちは母がいないんだろう。」
と感じていました。
日々暮らしている中で、「家族の話」というのは避けられないものです。
特に初対面の相手とは。
その都度、「実はうちの母親亡くなってて…」と話すことはとても辛かったです。
周りの人間の支え
きっと父はものすごく大変だったと思います。
朝、私の世話をして、仕事に行って、帰ってきて私の世話をして…
自分も最愛の人を亡くしているのに。
また、近所の方々にたくさんお世話をしていただきました。
ご飯を作っていただいたり、私の学校の送り迎えをしていただいたり。
周りの方々のたっぷりの優しさで、私は一度も「さみしい」と感じることはありませんでした。
母はいませんが、自分のことを大事にしてくれている人がたくさんいることで救われました。
本当に感謝しかありません。
拭えない後悔
しかし、15年経った今でも、後悔だけは不意に襲ってきます。
本当、波みたいに。
あの瞬間が最後だってわかっていたら。
あの握手が最後だってわかっていたら。
どうしてもっとちゃんと話しておかなかった。
どうしてもう一度握手をしなかった。
ときに、「誰もが経験すること」「家族を失っている人はたくさんいる」と言う人がいます。
私は「クソ喰らえ」とニコニコしながら思っています。
「みんな経験することだから、仕方ない」は絶対におかしい。論理が破綻している。
死はそれぞれ固有のもの。2つとして同じものはないし、そもそも比べるものでもない。
私が悲しいんだから、それ以上余計なことを言うな。
悲しむ権利を否定しようとするな。
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さてさて、現在に帰ってまいりました。
「忘れる」という力はとんでもないもので。
日常を過ごし、多くの小さな悩みを乗り越え、いつしか「母の死」は私のものになりました。
あんなに辛くて悲しかったのに、私は現在普通に暮らしています。
塵が積もるように過ぎていく時間は、いつしか色々な感情を和らげます。
辛いことも、嬉しいことも、悲しいことも。
あの優しい寝顔も、重くて冷たい手も。
悲しすぎる出来事だったのに。
忘れて楽になっていく。
忘れていかないと生きていけないから。
それは1週間かもしれないし、15年以上かかるかもしれない。
なんと便利で残酷な機能なんでしょう。
余談ですが、母は熱心にバラを育てていたそうで。
父は「このバラだけは枯らさない」と不慣れな花の手入れを頑張っています。
毎年、綺麗に咲いています。
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若造の駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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