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嫁と姑、わたしたちの「お煮しめ」

「今年でもう最後かもしれないねぇ」

築40年をとうに過ぎた木造の家。板張りの台所は、ヒーターをつけてもちっとも暖まらない。

この台所でお義母さんがそう言うのは、もう8回目くらいだろうか。大晦日、この言葉を耳にするたびに、胸がしめつけられる。

「今年も一緒に作れてよかった。いつもありがとうね」

左手で野菜室のドアを閉めながら、お義母さんが言う。

「いえいえ、毎年教えてもらってるのになかなか上手くならなくて」

お出汁の香りが充満した台所。鍋が山積みになった流し。

お義母さんと2人、お節用のお煮しめを詰めた重箱をながめる。達成感。この一仕事を終えると、ようやく「年の瀬」だなと感じる。

年末年始、長男の嫁であるわたしは、オットの実家で“嫁業”にいそしむ。

最大の勤めが、お義母さんとのお節作りだ。結婚して25年、ほぼ毎年、大晦日の朝早くからお義母さんと一緒に台所に立つ。

もともと料理が好きではないわたしにとって、お節作りは楽しいイベントとは言いがたい。むしろ、苦行だ。

でも、こんな機会がないとお節を作ろうなんて全く思わないし、お義母さんとの大切なコミュニケーションの場なので、毎年「よしっ!」と小さく意気込む。

結婚したてのころ、お義母さんは50代後半だった。手早く料理をするお義母さんは、わたしの包丁さばきや盛りつけかたを見て、細かく指導してくれた。当時のわたしの料理はビギナーにも届かないレベルだったので、教え甲斐のある嫁だったと思う。

「ほら、面取りはこうやってするのよ。お野菜はきちんと面取りするの。そうしないと煮崩れるから。丁寧にね」

「お節のお煮しめは、ごった煮じゃないのよ。お出汁は、大根、椎茸、子芋、こんにゃく、金時人参と、別々に作る。お出汁の味つけも素材に合わせてね」

「お重に詰めるときは、まわりの食材との色あいをちゃんと見て」

わたしがなにかをするたびに1つ1つ細かく指導が入る。そのたびにわたしは「分かりました」「へぇ、そうなんですね」「あ、すみません」などと返事をする。

“デキない嫁”丸出しだったが、どうやらそれがよかったようだ。お義母さんは「わたしが教えなくては!」と奮起し、野菜の切りかた・味つけの秘訣・便利グッズなど、年末の台所で多くのことを教えてくれた。

ママ友に、お義母さんと毎年お節を作ってるんだよ、と話したことがある。

「えー?そんな大変なこと毎年やってるの?お姑さんにいろいろ言われてムッとしないの?」


「ムッとしないの?」と聞かれて、「全然。ムカつくことなんて全くないよ」なんて答えられるほど、わたしはデキた嫁ではない。

まぁ、ふつうにムッとする・・・ときもある。自分の料理スキルの低さを棚に上げてなにを言うか、と思われるかもしれないが。

でも、ムッとしても『嫁 VS 姑』のバトルには全くならないし、あっけらかんとしたものだ。お義母さんは後腐れのないひと。すぐに忘れる、お互いに。お義母さんとわたしは、そういうところが似ている。

わたしが『お義母さんを頼りにしている』というのも大きい。母として、ほかに頼れる人がいないから。

実母はわたしが結婚した1年後、病気で他界した。もともと病弱だったが、50代で帰らぬ人となってしまったのは、わたしには大きなダメージだった。

母と娘の関係は、娘の結婚後に濃密になる。親子というより、1対1の人間としての付き合いになる。娘にとって、母は人生のよき相談相手。


そんなことをよく聞くが、深い関係を育むまえに実母は旅立ってしまった。料理、出産、育児、夫婦関係、教えてもらいたいことはたくさんあったのに。悩んだときは相談にのって欲しかったのに。どれも叶わなかった。

実母の代わりにサポートしてくれたのが、オットの母、お義母さんだ。

料理のイロハを教えてくれたのも、わたしが切迫流産で長期入院したときに助けてくれたのも、安産祈願も、出産後に家事を切り盛りしてくれたのも、赤ちゃんのあやしかたを教えてくれたのも、育児の悩みを聞いてくれたのも、全部ぜんぶお義母さんだ。

夫婦喧嘩をして、わたしがオットの悪口を言いたくてまっさきに電話したのも、お義母さんだった。

自分の息子への不満を嫁から延々と聞かされても、お義母さんは不平1つもらさずに、ウンウンと相づちをうって聞いてくれた。

「そうよね、あの子は昔からそういうところあるから。カミーノちゃんもやりにくいでしょ。ごめんね、嫌な思いをさせて」


そうやって、お義母さんはいつもわたしの味方についてくれた。

もしも実母がまだ生きていたとしたら、お義母さんといまのような関係を築くことはできなかっただろう。悩みごとはすべて実母に相談しただろうし、勝気な性格のわたしのことだから、お義母さんとの衝突もたびたびあったに違いない。

そうなるのが分かっていたから、実母は早く姿を消したのかもしれない。わたしがお義母さんと良好な関係を結べるように。これまで嫁姑問題に悩んだことが1度もないなんて、わたしはラッキーな嫁だ。

お義母さんを、母として頼るようになって25年。わたしが実母と関わった年数を、もうすぐ超える。

2021年の大晦日。「今年でもう最後かもしれないねぇ」と膝をさすっていたお義母さんは、今年で81歳。

しんしんと底冷えする板張りの台所で、朝早くから立ちっぱなしでお節を作るのはもうキツイだろう。

「お義母さん、あとはわたしがやるので向こうで休んでてください」

何度もそう声をかけたけど台所から離れないのは、“デキの悪い”嫁が心配なんだろう。わたしがさっき重箱に詰めたばかりの金時人参の位置を、箸で整えている。

「ほら、こう盛りつけたほうがきれいでしょ」

「あ、ほんとですね。そっちのほうが見栄えがいい」

なにげないこんなやりとりを交わすたびに、胸がきゅうっとなる。ここ数年、その回数は増える一方だ。

いつまで、お義母さんと一緒にお節を作れるんだろうか。

「わたしたち、味見ばっかりしてますね」なんて笑いながら、重箱にキヌサヤを飾っているお義母さんの口に、かまぼこの端っこを運ぶ。「あら、このかまぼこ美味しいわね。やっぱり高いだけあるわね」

来年も、こうやって一緒に作れるんだろうか。

作れたらいいな。作れますように。嫁と姑、わたしたちの「お煮しめ」。



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み・カミーノ
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