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孫のチカラってすごい

「ほら見て、この写真。あの子も一人暮らしに慣れてきたってことかねぇ」

お義母さんが嬉しそうに、LINEの画面を見せてくれた。写真を送ったのは、どうやら我が息子のよう。


ん?なんだこれは?わたしには送られてきてないぞ。

「この写真はじめて見ました。あの子、お義母さんだけに送ったみたいね」

「あれ?カミーノちゃんのところには来なかった?あの子ときどき送ってくれるのよ、こうやって。仕事から帰ってきて自分でご飯作ったから、ばぁば写真みてよ、って」

自分だけに送ってくれたと知り、お義母さんは顔をほころばせる。

「すごいね、美味しそうって返したら、なんて返事がきたと思う?」

「んー、なんだろ?うちの子、なんて言ってました?」

「すごくやさしい言葉をかけてくれてね。『今度ばぁばの家に行ったとき、一緒に作ろうや』って」

お義母さんは目を細め、口元をいっそうゆるませる。

「もう一人前だねぇ、あの子も。そんなふうに言ってくれるなんて」

遠い目をするお義母さんを見ながら、わたしは「息子はちゃんと行動にうつしてるんだな」と思った。

有言実行、すばらしい。息子よ、やるじゃないか。

ことのはじまりは、今年の1月。わたしの父、息子にとっての祖父が亡くなった。

葬儀がすべて終わり、息子は葬儀ホールから電車で45分ほどの自分のアパートに帰った。オット、娘たち、わたしの4人は新幹線と電車をのりつぎ、自宅に着いたのはその日の夜遅く。

わたしたちは、葬儀と長距離移動で疲れ果てていた。やっと眠れるぞ、というとき。わたしのスマホが鳴る。昼に別れたばかりの息子からだった。

「ん?どうした?ホールになにか忘れた?」

わたしがそう聞くと、息子はボソボソなにか言ったかと思うと、黙り込んでしまった。

「もしもーし。どうした?電波悪いの?」

とぎれとぎれの息子の声。どうやら涙ぐんでいるみたい。声が小さすぎてよく聞こえない。

どうしたんだろ。疲れてるから早く寝たいんだけどな。あくびが出そうになるのをこらえつつ、息子の次の言葉を待つ。

「オレ、びっくりした・・・で、めっちゃ情けなくなったわ、自分が」

えっと、話がよくわからないんですけど?心でそうつぶやく。

「お葬式行って分かったんだけど。じぃちゃんの施設も、じぃちゃんの家もさ・・・オレのアパートから1時間もかからなかったんだよ」

「うん」

「そんなに近かったんだよ。それなのに、なんでそのことに気づかなかったんだろうって」

「そっか」

「オレがこっちに来て、もう半年くらい。じぃちゃんに会いに行こうと思えば会える距離にいたのに。仕事が忙しい、休みの日は疲れた、ってさ。自分のことばっかりだった。じぃちゃんと会える距離にいるって、どうして気づかなかったんだろうって」

「そっか、そんなふうに思ったんだ」

「お葬式でじぃちゃんの姿見て、こんなにちっちゃくなっちゃったんだなって。あんなに筋肉質だったのに、めっちゃ痩せて。あんなに痩せていく途中のじぃちゃんのこと、オレなんも知らなかった。知ろうともしていなかったな、って」

「うん」

会えるうちにどうして会いに行かなかったんだろう。ホンマに、自分で自分が情けないわ」

息子はそう言うと、しばらく押し黙ってしまった。鼻水をすする音だけが聞こえる。

コロナで施設の面会も自由にできなかったし、病院も基本的には面会禁止だったし、となぐさめになるかどうか分からないようなことをわたしは息子に伝える。それでも、息子は納得しかねるようすだった。

「オレ、なんもしてあげられんかったわ、じぃちゃんに。ホンマ情けない。めっちゃ後悔してる

息子が大きなため息をつき、沈黙がしばらくつづく。

「そんなに後悔してるんならさ、これからどうすればいいと思う?」

わたしは聞いてみた。

「これから?なんかできることあるんかな、オレに」

「あるよ。もうあなたには、じぃちゃんも、ばぁちゃんも、じぃじもいない。でも、まだばぁばがいる。1人でちゃんと暮らしてる。じぃちゃん、ばぁちゃん、じぃじにしてあげられなかったこと、してあげたかったこと。それをばぁばにしてあげたら?」

じぃちゃん、ばぁちゃんは、わたしの両親。父は今年、母は25年前に亡くなった。じぃじはオットのお父さんで、9年前に亡くなった。まだ元気なのは、オットのお母さん、ばぁばだけ。

「そっか、そうだよな・・・うん、分かった。ばぁばにしてあげるわ。話聞いてくれてありがとう。おやすみ」

少しだけ元気を取り戻した息子は、そう言って電話を切った。

わたしは、じぃちゃんの死を通して息子が思いをめぐらし、そんなふうに感じてくれたことが嬉しかった。息子の後悔の思いをわたしに話してくれた、その素直さに救われるような気もちになった。

じぃちゃんの死は、息子にとってなにか意味のあるモノになったんだ、と。

息子との電話から数週間後、お義母さんから弾むような声で電話がかかってきた。

「あの子の食べっぷりは、いつ見ても気もちがいいねぇ。『ばぁば、もうお腹いっぱいだよ』って言いながら、たーくさん食べて帰ったわよ。また来るって。次に会えるのが楽しみだわ」

「え?あの子、お義母さんのところに行ってたんですか?」

「あら、知らなかった?この三連休、ここに来てのんびりしていったわよ」

お義母さんは、わたしの隣の県に住んでいる。息子の住む地域からは、我が家よりも遠いお義母さんの家。新幹線を使っても、ドアツードアで片道5時間はかかる。

息子は実家をすっ飛ばして、お義母さんに会いに行ったらしい。それも、我が家にはなんの連絡もなく。せめて連絡くらいくれれば、わたしだって息子に会いに行ったのに、と思わないでもない。いや、思う。思うでしょ。

でも、そんなところがなんともあの子らしい。

息子は、亡くなった祖父母たちにしてあげられなかったことを、まだ唯一元気な「ばぁば」にしてあげている。会えるうちに会いに行っている。息子は、ちゃんと行動にうつしているんだ。

お義母さんには、毎週のように息子からLINEがくるんだという。お義母さんはその小さなやりとりをとても楽しみにしていて、散歩に行くと草花の写真を撮っては、息子に送っているそうだ。「どこに咲いてたん?」とか「キレイな色だね」という息子の返事に、元気をもらうと言っていた。

「会えるうちにどうして会いに行かなかったのか」、息子の後悔の気もちが和らぐときが来ますように。

「ばぁば、またね」の息子のひとことが、お義母さんの心をじんわりあたためる日が長くつづきますように。

そう願いながら、わたしは「たまにはこっちにも連絡しなさいよ」という息子へのひとことを、グッと胸にのみこむ。


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