見出し画像

原動力

 生きること自体、エネルギーを消費する。
 ネガティブに考えていくと、とどのつまり【死】。
 そんな私が生きるために得た考えかた。

 いじめてきた人やひどいことをしてきた人を憎むのではなく、『見返してやる』根性で生きている。
 とは、言うものの誇れるものは何一つない。
 でもさ、誇れるものがないって、『きっと可能性をまだ秘めているのでは』と、思って自分を鼓舞させる。
『見返してやる』は、何かに成功して有名になるとか、そんな大それたことじゃないんだ。
 【今この瞬間幸せ】【笑うことができる】【人と何かを共有することができる】とか、誰かにとって特別ではなく、【自分にとって特別なことを味わっている】、『生き抜いてやったぞ』という、一瞬でもいいから喜びに触れること。

 元々ポジティブで元気ハツラツだったので、案外人から悪く言われても傷つかない。
 ただ、鬱に入ると気持ちが滅入ったうえに、幻聴・幻視・妄想が強くでるので、その期間は嵐が過ぎ去るのを、ぐっと堪える。
 
 noteには、自分の障害のことをたまに書くけれど、基本的に連絡できなかった時とかに、鬱であまり返せないくらいにしか、自ら話さない。
 だって、つまんないから。
 相手がそれを聞いたところで、何もできないし、時には色物扱いを受けるしね。
 薬で幻覚が減ったけれど、まぁそこはまだ戦っている。
 色々なことが、ラッシュバックする日もある。

 本当毎日自分の頭と心との闘い。
 気を抜くと、行ってはいけないところに行きそうになることなんて多々ある。ここでは、書きたくないことばかり。友人には言えないことばかり。 
 でも私は、最期『ゴミみたいな人間だけれで、それなりに幸せだったな』と、思いながら自然に任せたい。

 【涙を流す日】も【笑う日】も私にとっては、必要なんだ。
 【無意味】かもしれないことも、『私にとっては意味がある』ことなんだ。

 そのでれも、身体と魂を別々にしようという、考えをやめたから味わえる、【人生のコース料理】。
 きっとまだ【人生のコース料理】の主食を味わっていない。
 味わっていないことにしたい。そうすれば、楽しみが待ってるから。
 魚にするか肉にするか、考えながら生きていったら、面白い人生になるかもしれない。
 デザートも堪能したい。
 コース料理のデザートって、安いコースだと小さいのしかついてこない印象だから、人生のオマケみたいな感じなのかな。
 私の人生、お安くできているので、デザートはあっという間なのだろう。
 でも、【そこに全てが集約されている】気もするので、いくつかの中からチョイスするこができるのであれば、慎重に選びたい。

 私の脳内本当は、お花畑でできている。
 苦しいのは、たぶんお花が咲きすぎたから、神様がお花を選別する作業をしているんだろう。
 そう思いながら、脳内のお花畑で腹ばいになって深呼吸をする。
「あぁ、今日も生きている」
 そんな自分に、拍手を浴びさせる。
 
 

 
 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?