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熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』読んだ

精神科医で著名ブロガーである熊代亨先生が一昨年出された本やっと読んだ。

タイトル長いね。

内容はタイトルのとおり。私たちは自由で快適な生活を求めて社会を消毒していった結果なにを失ったかというもの。著者はその象徴として、立ち小便をする隙間もないほどコードが敷き詰められた東京という街を挙げている。

一つには、労働者に求められるクオリティが爆上がりしたこと。かつてならちょっと鈍臭い人程度の扱いだった人物が、今なら発達障害と診断されてしまう。もちろん疾患概念の確立に伴って拾い上げられやすくなったのもあるだろうが、労働強度の上昇と明らかに相関している。

さらに健康を求めた結果、それらの患者は医療や福祉の介入により社会へと再配置されて労働に復帰させられてしまう。

19世紀以来強化されてきた医療の介入により健康的な社会が出来上がったが、それは私たちをさまざまな形で束縛する。コロナ禍以降、ますますあからさまになるこの生権力については本書ではあまり言及されていない。

消毒された社会では、秩序についていけないものは爪弾きにされる。KKOとかかわいそうランキング低位のものたちだ。しかし自由で快適な生活を私たちが享受するためにそれらの者たちを必要としたのだ。私だって例外ではない。

かわいそうランキングは低くはないが、秩序を守れない最たる者は子供である。経済資本や文化資本の豊富な家庭の子弟であっても先天的に秩序を身につけているわけではない。大人になるまでどうにかこうにか獲得していくのだ子供たちは秩序を守れない者として疎外されることは、これまたコロナ禍によっていっそう明らかになっている。
また最近よく言われる、母親による子供の虐待において、母親に甘すぎる量刑が科されることもその一環であろう。

子供は秩序を乱す者という発想を敷衍すれば、子供を持たないのが合理的と考える人々が出てくるのは自然なことだ。

こうして本邦は、欧米とは異なる、過剰は功利主義社会になってしまった。その功利主義は時にお命至上主義として現れる。お命至上主義からすれば子供を持たないことは非常に合理的だ。だって生まれなければ死ぬこともないから。

私個人としてはこのような現状が好ましいとは思えないが、かといって快適な生活を手放す覚悟があるわけでもなく、黙り込むしかないのであった。

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はむっち@ケンブリッジ英検
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