第二言語は母語を上回らないか。私は無理っぽい

原則として母語より第二言語が運用しやすくなることはないが、例外はいくらでもありうる。

個人的には、英語が日本語より使いやすいと感じたことはほぼない。というようなことを経験に即して書いていこう。そして例外的な情況についても。

まず今読んでる本2冊について。

1冊目はこれである。

新反動主義の源流になった書物である。英語原文はネット上で無料で全文公開されている。

なぜわざわざ邦訳を買ったかというと原文がさっぱりわからんかったからである。

しかし邦訳をみると、読みづらくはあるんだけど、ふつうのオルタナ右翼の話だった(それでも10年前に現在の情況を予言していたことに価値はおおいにあるのだが)。原文だとなにかすごい深遠な話に感じられたがそんなことはなかった

文脈が日本語だと頭に入っているけど、英語だとそうではないために読めなかったのである。私の英語力そのものの問題ではないと思う。
とはいえ英語で読めないものは日本語でもしんどいのだが、日本語ならなんとかわかることがほとんどである。

2冊目。

SFというか歴史改変ミステリー小説だ。邦訳は出ているが、これは原書を買った、だいぶ安かったので。そして特に問題なく読めている。自分の英語の語彙レベルは2万語を超えたくらいだと思うけど、見たことない単語はほぼ出てこない。覚えたばかりの単語がたくさん出てきて嬉しい。

こういう娯楽小説を読むのは難しいと昔は感じていたのだが、語彙力が追いついてきてストレスなく読めるようになった。しかしそれでも日本語のほうが速く読めるだろう。この手のページターナーは私はめっちゃ読むのが速いのである。機会損失を考えると、邦訳を買ったほうが安上がりである。

結局のところ、私の場合は普段のインプットが日本語に偏っているためにどんなに英語を勉強しても、読解の速さ、深さが日本語に追いつくことはない。

例えば英語が得意なことで知られるフィリピン人だが、彼らはフィリピン語(タガログ語ベースの公用語)の授業以外は教科書は全て英語である。島嶼国家で言語が統一されていないからそうなるしかないのである。英語でインプットするという点では好ましいが、数学や理科を母語で学べないハンデは大きいように思われる。同じく島嶼国家である日本で標準語を普及させることができたのは奇跡的な幸運と感じる。高校レベルの数学なんてめちゃんこ難しいし、これを英語で学べといわれたらゲー吐きそうである。

これはもちろんインプットが日本語に偏るということであるから、英語力を伸ばすという意味ではハンデになるが。じゃあどっちがいいかというと、一人たりGDPでは、インドやフィリピンは日本とは比較にならないほど貧しい。全国民的な英語力はあんまり関係なくて、早期に中央政権国家を確立して資本装備率を上げるほうが貨幣的な意味での豊かさは達成しやすいようである。

とはいっても邦訳がでていない本は英語で読むしかない。

たとえばチャールズ・マレー『Belle Curve』である。

20年以上前に出版され、当時ですら人種差別を助長すると多大なる怒られが発生した問題作である。今ならそれ以上いけないどころではすまないだろう。

内容はひたすら統計的事実を羅列しているだけで、別に怒られるようなことではないし、また英語も読みやすい。しかしくっそ長くて、半分ちょっと読んだところでやめてしまった。読んだ範囲では、上掲の山形浩生氏のブログに書いてる以上のことはなかった。

山形氏も指摘しているように、批判している人は本書をちゃんと読んでいないと思う。なんせ異常に長いので。。。あと統計学の素養がないとちょっと読むのしんどいかも。とはいえ、読まなくていい本なので気にしなくていいだろう。邦訳されることもないだろう。暇な人だけどうぞ。

邦訳されていないものに関しては英語で読むしかなくてフィリピン人と同じ情況になるわけだが、幸か不幸か面白い本はたいてい邦訳がある。これは本邦の翻訳文化の素晴らしいところである。もちろん例外はあるが。

そういえば最近、未邦訳の仏教書をお買い上げした。

仏教のアレさんが取り上げていたからである。

なかなか邦訳が出そうにないとのことなのでお買い上げ。

仏教は科学と相性がいいとかいう欧米でよくある言説(もしかしたら日本でも)に対する批判である。著者はガチの哲学者であり、仏教の実践についてもはんぱなく造詣が深いようだ。

タイトルからわかるように、以前に紹介した『Why Buddhism is True』への論駁でもある。

そういえばこの本も日本語訳じゃないとしんどかったな。

仏教についてはまだまだ勉強不足で日本語のインプットもいまいちなのだが、それなら最初から英語でインプットしたらいいのではないかと思ってチャレンジしたが撃沈したのである。

今度は邦訳がないから意地でも英語で理解するしかない。途中で投げ出すかもしれんけど。

とかなんとか考えていると日本人が普通に日本で暮らしているとやはり英語が日本語が上回ることはないよねって思うのであった。


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