百人一首あれこれ①清原元輔
百人一首をただ覚えるのも味気ないので、詠み人のエピソードや歌の内容で気になったところについて紹介していく記事を書いた。
歌と訳
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
この歌は清原元輔本人が失恋したのではなく、失恋した男性に代わって詠んだものである(何も知らない小学生の時は、涙で顔をべしょべしょにしたおじさんを連想していたが……)。
①実際に、末の松山を波が越したことはあるのか?
古今集の「君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなむ(君をさしおいて浮気心を起こしたら、波が末の松山を越えてしまうだろう)」という歌以来、「末の松山を波が越す」という表現は、絶対にあり得ないことのたとえとして使われてきた。しかし「あり得ない」と思われても起きることはある(バーナムの森が攻めてきたりとか)。今までに、末の松山を波が越したことはあるのだろうか。
末の松山の場所は、宮城県多賀城市八幡の末松山宝国寺の裏山あたりという説が有力と伝えられている(岩手にある浪打峠という説もある)。海岸線からは約2km離れているので、基本的に波がくることはない。かの東日本大震災では「末の松山」直前まで津波がきたが、松には波が届かず無事だったそうだ。ということで、2023年4月時点では、波が末の松山を越えたことは「ない」。
➁宇治拾遺物語に載っているエピソード
清原元輔といえば、宇治拾遺物語にも登場する。タイトルは「元輔、落馬の事」。内容をざっくり要約するとこんな感じだ。
清原元輔が、一条大路で落馬した。頭から逆さまに落ちたので、見物していた人々がぎょっとして見ていると、元輔はすぐに起き上がった。しかし冠は脱げ、禿げ頭がむき出しになっている(現代の感覚でいうと、転んだ拍子にズボンごと下着が脱げて、股間が丸出しになったような状態だろうか?)。従者が慌てて冠を着けさせようとしたが元輔は振り払って、
「騒ぐな、ちょっと待て。皆様に申し上げたいことがある」
と、殿上人たちの車の前へ歩み寄った。つるりとした禿げ頭に夕日の光が反射してぴかぴか光る様子が珍妙で、周囲の人間は大爆笑した。
しかし元輔は笑われるのを気にすることなく車の一つに近づき、真面目くさった顔で言った。
「立派な人間でもつまづいて転ぶことはよくあります。ましてや馬は動物で、しかもこの道は石が多いので、つまづくのは当然です。そして馬が大きくつまづけば、人が落ちるのは当たり前です。冠が落ちたのも仕方のないことです。私は髪の毛がないので、冠を結ぶことができないのですから。したがって、この事件は不可抗力で、誰を責めることもできません。
冠を落とすことは恥ずかしいことですが、前代未聞というほど稀なことではありません。過去にあの大臣もどこそこの中納言も落としています。つまり先例が沢山あるので、過去をご存じない若い方々が笑うようなことではないのです。そのようにお笑いになると、逆に愚かだと思われますよ。あなたも、あなたも、そこのあなたも……」
彼はそのまま殿上人の車ごとに向かって、指折り数えながら言い聞かせて回った。そして一通り言い終わった後、従者に「冠を持って来なさい」と命じて、ようやく冠をかぶったものだから、再びその場にいた人間は爆笑した。一緒にいる従者は恥ずかしく思い、「落ちた冠をすぐに付けずに、どうしてわざわざあのようなことをおっしゃったんですか」とたずねた。元輔は、「余計なことを言うな。ああして道理を言い聞かせたからこそ、後々笑われないのだ。私が何も言わなければ、ずっと笑われ続けただろう」と返した。
今昔物語にも同じようなエピソードが載っており、「元輔は人を笑わせるのが得意だった」と締めくくられている。
③娘・清少納言から見た元輔
「(元輔の子なのに歌を詠まないのか?と聞かれて)父が有名でなかったら、真っ先に歌を詠んだでしょうに」と答えたり、「下手な歌を詠んだら亡き父に申し訳ないので、詠まないことにしています」と中宮定子に話していたりして、父(と曾祖父の深養父)が有名な歌人であることにプレッシャーを感じていたようだ。1000年後、まさか自分が父より遥かに有名になっているとも知らずに……(来年の大河ドラマには出演するのだろうか?)。
参考文献
谷 知子(2020).『百人一首 解剖図鑑』. 株式会社エクスナレッジ