私たち、それぞれが一人ずつだっていうこと|武田俊

ブックストア・エイド基金運営事務局のスタッフが、個人的な思いを書いていくシリーズです。今回は、編集者の武田俊です。


編集者という肩書を使って仕事をしはじめて、10年ほどが経つ。

学生時代に仲間内で雑誌を作っていたのがその始まりで、その仲間とすぐに会社をつくったりなんだりとしていたから、ぼくは版元に所属したことがない。編集や印刷について丁寧に、あるいは背中で教えてくれる上司ももちろんいなかったから、メディアの種別を問わず徒手空拳でやってきた。

編集は、読者に対して作品や情報を適切に届けるための様々な工夫や技術のことだと思っている。だからなのだろうか。雑誌や映画やWebではなく、何より本から大きな影響を受けてきながら、著者との二人三脚で時間をかけて本をつくるという意味での編集を、ぼくはしてこれなかった。デジタルメディアに可能性を感じていた、そんな時代のせいかもしれない。会社経営のことで頭がいっぱいだったからかもしれない。あるいは、「本を作る」ということ自体に畏れのようなものを感じていたような気もする。

ただ間違いないことがひとつある。
あらゆるメディアの中で、ぼくは本を最も大切に思い、影響を受けてきたということだ。

教壇から考える

昨年から母校の大学で、非常勤講師として教壇に立っている。
担当しているのは「情報メディア演習」という講義だ。教えるということは、難しい。だからまずこれまで会得してきた編集に関する技術と思考を、他人にも伝えられるように体系化することから始めた。

そのためにはまず様々なメディアの特徴を、学生にとってわかりやすく説明することが必要だ。そう思った。双方向通信が可能なWeb、受動的な視聴者に映像を届けられるテレビ──。そんな風に図解していって、本のパートで立ち止まった。

本っていったいなんなんだろう?

木からつくられた紙、それに印刷をほどこして、綴じたもの。そうやって製造工程を頭の中で映像としてイメージしていく。最後に到達したのは書店の平台にそれらが並べられている光景だ。

印刷により多くの人が同じものを読めるようになったこと。知識をアーカイブして、次の世代に引き継げるようになったこと。本が人類に可能とさせたことを思い出していくうちに、ぼく個人にとって重要だと思われる特性にぶちあたった。

それは、本を読んでいる間、読者はいつも一人であるということ。

一人ずつである私たち

本は誰かと一緒に読めない。読書は孤独な時間の中でだけ先を進む。だから読者である私たちが一冊の本を開く時、必ず一人でその世界に向き合うことになる。

だから──体が弱く毎晩のように小児喘息の発作に襲われて眠れなかった夜に出会った『エルマーのぼうけん』のりゅうは、ぼくとエルマーだけのものだったし、登場人物以外にナルニア国の秘密を知る子どもは世界でぼくひとりだけだった。

世の中と自分の距離感がぜんぜんよくわからなかった10代の頃、古今東西の文豪たちはその時代を生きる苦しみや喜びについて様々な登場人物と世界観を用意して、まるでぼくにだけ語りかけてくれるようだった。

そうして読み進めていく一人だけの時間の先に、本は新しい世界への扉を用意してくれていた。

そうやってリンクして開いていったたくさんの扉の先で、今、ぼくはまた新しい本を開きながら教壇に立っている。

書店で出会っている

ブックストア・エイド基金を立ち上げ運営していく中で、書店に出かけられないことが苦痛でしかたない時期があった。書店は本を買うためだけの場所じゃない。未知のものに出会う場所であり、その出会いを探す場所であり、探す意識などなくてでも出会ってしまう場所であり、そしてただ歩いていて楽しい場所である。

こんなに恋しいのか、と思っていたころに、自宅最寄りの書店が店をひらいた。その日に出かけてみることにした。

棚の間にぽつりぽつりとマスクをつけた人たちが、本をひろい上げている。
料理本を探している主婦の横で、父親くらいの年齢のひげをはやした男性が、居酒屋を紹介する雑誌に目を細めている。

児童書コーナーでは、3人の男の子がきれいに並んで絵本を広げていた。母親がつくったのか、ミニカーの柄がプリントされたマスクがよく似合っていて、楽しそうである。

ここに今一緒にいる人たちは、それぞれの興味や関心や気分にあわせて本を選んでいる。そしてこのあと家に帰ったら、それぞれ選んだ本の前で、たった一人になって世界と向き合うのだ。

そう思ったら、この店の中で誰ひとりとも会話を交わしていないにも関わらず、同じ空間の中で一緒に過ごしていることが奇跡的なもののように思われて、目の中で涙が溜まっていった。



本の数だけ人には向き合う世界があり、本の数だけ人生がある。書店はそんな私たちを、言葉すら交わす必要もなく出会わせる。

私たち、それぞれが一人ずつであるっていうこと。
そのどうしようもない心細さや虚しさや、あるいは豊かさに本は気づかせてくれる。書店はそんな一人ずつの私たちが集い、また一人ずつの世界に戻ってくためのトランジットみたいな場所のようだ。

世の中の騒がしさに耳を塞ぎたくなることが増えた。
一人きりだけど一人じゃない世界で生きていくために、書店はどうしたって必要だと思った。プロジェクトは終わっても人生は続く。あと数時間。ひとつの頂点を乗り越えたその先も、本と書店のことを考え続けていきたい。

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