「乱読のセレンディピティ」を集中して読む
今日はキリスト教の神父さんが書いた本を読んでいましたが、なんとなく批判的なブログを書いてしまいそうな気がしたので途中から読む本を変えました。その浮気した本は「乱読のセレンディピティ」という本で「思考の整理学」の著者として有名な外山滋比古さんが書かれた本。多少眠気が上がって来た時間帯もありましたが、古本屋のカウンターで足踏みしながら一気に読み干しました。
この本のタイトルとなっている「セレンディピティ」とは予想外のもの発見することです。人によっては予想外の幸福という意味で使うこともあるようですが、この本の中では予想外の閃きを「セレンディピティ」の意味として定義していました。
要は沢山の本を適度にスピードをあげて読むことにより、誤解や理解不足も生じるが、それこそが「セレンディピティ」となり、結果的に有益な経験となるという考えを述べられた本。
ただ、この本の全てが「乱読のセレンディピティ」について書かれていたわけではなく、内容のほとんどは少々脱線気味のエピソード。ただ、非常に面白かったので文句はありません。いわゆるデータを元にした学術的な内容ではなく、学者の先生が考えた内容をそのまま綴ったエッセイ本です。
しかしその効果が高く、店主も読み終わってから「色々なジャンルの本を適当に読もう」と心に決めました。ただ、店主は手堅い遅読を推進するスタンスでブログを書いていましたし、実際にその方がいいと現在でも考えています。要するに乱読を少し取り入れてみようと考えたわけですが、その気持ちの変化をどのようにブログに書けばいいのかは少々難しい。
そこで、この本の面白さを伝えるために、本の中から閃きをもらえそうな言葉を少し拾って少々読みやすく加工しました。以下、続けます。
「貰ったクスリはきかないという言葉と同様、貰った本を読んでも身にならない」
「読んでもわからないところを、自分の理解、自分の考えで補充する。それが間違っていたとしても、それこそがセレンディピティとなる」
「なぜ『本を読まなければいけない』と考えるようになったかというと、印刷技術が発達して大量の印刷物が作られるようになると、それを消費する人間が必要になるからだ」
「軽い気持ちで読み飛ばしたものの中に、意外なアイディアやヒントが隠れていることが多い」
「『ガリバー旅行記』は元々諷刺画だった。誤読され児童書の古典となった」
「成功からは新しいものは生まれない。失敗、誤解のもとにおいて偶然の新しいアイディアが生まれる」
「あえてよい条件からはなれ、不利なところで努力する方が新しいものを見つけることができる」
「おしゃべりは乱読以上に有益である」
以上。
今日のブログは平凡な読書ブログとなりましたが、書いている店主としては非常にいい体験ができたと思っています。読書意欲が湧き、閃きがあり、とても楽しい時間を過ごしました。明日からは、今まで読んでこなかったジャンルの本に目を通してみようと思います。