散歩道
つめたい夕暮れ、喧騒のなかで、雪のことを考えていた。
夢の中のその雪はやがて雨に変わった──夜はどうしてこんなにも優しいのだろう──よそよそしい朝の光とは違う頼りなくも安堵に満ちた街灯がアスファルトを照らす。
ひとり彷徨うと、いつだって、他人を装い、自分ではない自分になる。
ときおり大きな音を立てて、雪がどこかの屋根から滑り落ち、来た道を振り返り、除雪車が積み上げた白い山を眺めた。
にぎやかな装飾された音と風景の中、親しみ深い空間は何処を探しても見当たらず、細やかな色彩がすべてモノクローム写真の一部のように映る──重なり合うはずの遠い記憶をたぐりよせても断片すら拾えない風景──ひんやりとした小さな手に手袋をしっかりとはめて汗だくになって兄弟とそり遊びをしたときのそりの色が鮮明に蘇る。
過ぎ去る時のなかで、延々と、したたり落ちる水の音に聴き入る。
優しくしてあげられなかったことを悔いながら、他人になって歩き続けて、夜を現存する。
どうしようもない漠然とした侘しさが遠くの海鳴りのように打ち寄せては引き返す。
もはや求められることのないこの手を見つめ、それでも灯火のように、片手でも誰かに差し出していたい、と想いを馳せた。
ひとは、自我に囚われ、窓の外の景色と部屋のなかの差異に惑わされる。
差異があればあるほどに、外の景色が夢なのか、現実なのか、現実は己の現実なのか、故意に曖昧にし、目を閉じ耳を塞ぐかもしれない──自らの体験と語られることが重ならないかぎり。
乱気流であればあるほどに、一定の方向への強いベクトルをもつ力を求めたくなるのも、自我の曖昧さと比例して強くなる。
ときには、自我を脱却することも、必要だと知っていても。
世界中の紛争、戦争、弾圧や貧困の中でも、子どもたちの希望のともしびがかき消されぬように。
ひとを愛する力が子どもたちの中で育まれますように。
今すぐにあらゆる戦争が停戦されて欲しい──クリスマス・イブの夜、雪のない街中で、僕は祈った。
言葉をあてどなく探すのは、どこか寒い夜の散歩と似ている。
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