中二病による読書について
序文
つい先日、欲望の読書という自己啓発系の本を買ってしまった。
少し冗長的だが、序文を引用する。
つまり、ここで著者ジョルジュ・ひろイユ氏が言いたいのは
ということである。
去勢
カール・ヤスパースは著書『哲学の小さな学校』でこう言っている。
バタイユが、『魔法使いの弟子』の冒頭で「欲求がないということは満足しないことよりも不幸である」と述べてもいる通り、欲求とは生命力、バイタリティそのものであり、すなわち生命のエネルギーの要素の一つである、と僕は考える。
例えば、バタイユの『太陽肛門』の一節からはバイタリティしか感じられないほどだ。
これらから何を僕が言わんとするのか?
人の成長過程において、僕の10代のころを思い返すと、次のステップになっていたように思える。
当たり前だが、stepの順序や内容は人によってそれぞれ異なるであろう。
僕がstep2からstep3へ行くとき、そこにはいつも強い欲求があった。
前述のバタイユを逆説的に言うと、「人間は欲求がなくとも満足しうるが、不幸かもしれない」。
なぜなら、自己を知るにはそれ相応のバイタリティが必要条件だからだ。
バイタリティがない=去勢された人間は己を知らない。
すなわち、傲慢さに繋がる。
これは現代の我々にありがちでもある。
去勢された<私>のいくつかの特徴を考えてみる。
もっとあるが、要するに、確固たる信念の欠如とも取れる。
そうして自己を知ろうとしない事の延長線上には「傲慢」が手を広げている。
僕も傲慢な人間であり、もっと言えば7つの大罪的なものは全部持ち合わせているからカトリックでいうならば、僕は大罪人でもある。僕はバタイユのような聖者ではないのだ。
しかし、バイタリティが僅かでもあれば、また話は変わってくる。
大罪人のような僕でも僅かに希望が見えるということだ。
なぜなら、そこには自己を知ろうとする泥臭いプロセスを楽観的に耐えて、あるいは、楽しんで、死ぬ間際くらいまでには何とか、傲慢さが丸くなっているかもしれないからだ。
読書と経験
だから、バイタリティ、生きる力、希望を持つこと、自分を見捨てないこと、自分を信じ抜くこと、というのはかなり重要であり、そのためには多くの山越え谷超え、あるいは、超えられずに迂回するなりして日々を平々凡々と淡々と過ごさなければならない。
こうしたバイタリティは読書では培われない。むしろどれぐらいの葛藤力を経験から培ってきたかということのほうが重要である。
したがって、読書をするよりも他者と関わり、よく話し、よく議論し、葛藤し、相手を思いやり、愛を知る方が遥かに重要だということだ。
体験数というのも限界があり、それを補うための読書があると僕は考える。
ショーペンハウアーの言う通り、「読書はできる限りしない」方がいいのだ。それでもするなら、古典や視座を得るための様々な哲学書を読んでいた方が良いかもしれない。
いずれにせよ、自分の在り方に良書はいつかトリガーとなる可能性を秘めている。それを活かすも、形而上学的読書家としての知識だけにするのも個人の勝手といえば勝手かもしれない。
なぜか?
なぜなら、読書ができるというのは、環境的にある程度余裕がないと中々できない事であり、また、娯楽のひとつでもあるからだ。
娯楽、快楽、エロティシズムと読書について
エロティシズムを死に至るまで生を讃歌すること、と定義したとしよう。
娯楽なきエロスはエロスではなく、それはタナトスへとまっしぐらである、と僕は考える。しかし、放蕩を極めてよいわけではない。娯楽はエロティシズムの一環だからだ。
エロティシズムとは聖なるものに依拠し、人類愛と生の讃歌に満ち溢れているものだ。各々、社会的倫理の範囲で楽しむなら、誰にもそれは指図されるべきものでもない。
ひろイユ氏の序文とはパラドックス的だが、古典を読もうが、ラノベを読もうが、自己啓発書を読もうが、極論は、勝手にしてくれ、なのである。
しかし、それと同時に、娯楽であることを忘れたらそこには無機質で虚ろな砂漠が待っているかもしれない。
去勢されている割に傲慢な人間に僕はなりたくないし、かといって、上っ面だけの形而上学的読書家になりたくもない。
自分の頭で自分なりに徹底的に考える為に沈黙するのも良いし、アウトプットしたって良いし、なんだっていい。
である者から でない者への飛翔。
書物は所詮は他人の考えでしかない。
パロディにするなら自分にとって最高に良い他人の考えを一旦寄せ集め、分析し、自分はどう考えるか?の材料として記憶の底に浮遊させておく方が、僕は好きだ。
そして、これは僕の何の役にも立たない日記である。
エロ万歳!
参考になるかもしれないしならないかも知れない文献
ショーペンハウア
読書について
ヤスパース
哲学の小さな学校
サルトル
存在と無
言葉
バタイユ
太陽肛門
魔法使いの弟子
エロティシズム