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名作ドラマに見る「時代の違い」と「普遍性」
「古畑任三郎」放送30周年おめでとうございます。子どもの頃からずっと楽しませてもらっている名作ドラマです。
いま関東ローカルで平日に再放送しているとのこと。私は数年前に出たデアゴスティーニの「古畑任三郎 DVDコレクション」をたまに視聴しています。先日は沢口靖子さんが犯人の回(セカンドシーズン第2話「笑わない女」)を見てマッシュポテトに惹かれました。
30周年と聞いた際、ファーストシーズン第4話「殺しのファックス」に出てくる「携帯電話を用意しろと言われ、すぐ対応できるのは警察ぐらい」みたいなセリフを真っ先に思い出しました。令和の若者には信じられないでしょうが、ちょっと前まではスマートフォンどころかケータイすら持っていないのが普通だったのです。
いまは欲しい楽曲をすぐダウンロードでき、会場へ行けなくてもプロスポーツを試合開始から終了までライブで楽しめる。そういう点ではいい時代になりました。
一方、木村拓哉さんの登場が話題になったセカンドシーズン第4話「赤か、青か」を見ると、犯人・林の犯行動機や人間性に現代でいうところの「無敵の人」に通ずる闇を感じます。技術が進化しても人の心は変わらない、ということかもしれない。
前にも書きましたが、私がいちばん好きなエピソードは、セカンドシーズン第7話「動機の鑑定」です。
でも実のところ、澤村藤十郎さん演じる春峯堂のご主人が最後に残した言葉を理解できたのは、つい最近のことです。人生における諸々の価値は畢竟己にとってのそれでしかない。他の人にとってはガラクタ同然でも自分にとっては唯一無二、そういう何かこそが正真正銘の財産である。
この種の考え方は、昔から根強いものなのでしょうか? ふと気になりました。
時代の違いと普遍性。ぜひ「古畑任三郎」で両者に触れてみてください。
Y2K☮でした。
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