「歴史は繰り返す」からの「もう一度」
忘れもしない2002年8月。
デビュー3年目の棚橋弘至選手が、初めて真夏の祭典「G1クライマックス」に出場しました。
時期尚早といえなくもない。しかし当時の新日本プロレスは武藤敬司選手や小島聡選手が年明け早々に全日本プロレスへ移籍し、新しいスターが求められていた状況。彼らと同じ「陽」の雰囲気を纏う棚橋選手への期待が最も高かったと記憶しています。
成績は2勝3敗でリーグ戦敗退。でもトップの一角を占めていた佐々木健介選手に勝利し、最終公式戦で当たる吉江豊選手を挑発して力を引き出すなど素晴らしいファイトを見せてくれました。
あれから22年。ついにこの日が来ました。
棚橋弘至、23年連続のG1出場ならず。
止めたのはデビュー2年目とはいえ、アマレスで輝かしい実績を残しているボルチン・オレッグ選手です。印象に残ったのは、彼が終盤に繰り出したある技。「新日本プロレスワールド」の実況も↑の記事も「ハリケーンドライバー」と呼んでいますが、私の目にはWWEで活躍する中邑真輔選手の「ランドスライド」と映りました。
中邑選手は、棚橋選手が初めてG1に出た2002年8月にデビュー。総合格闘技の下地と恵まれた体格、端整なルックスで「選ばれし神の子」と呼ばれ、かつてない速さでトップ戦線へ浮上。翌年12月にIWGPヘビー級王座を獲得しました。
デビュー2年目でG1出場を勝ち取ったボルチン選手はすごい。ただ同じ2年目で業界最高峰のタイトルを手に入れた中邑選手はもっとすごかった。ともあれ歴史は繰り返す。棚橋選手はまたもや「驚異の新人」に叩き落とされました。
これで第一線から退くか、あるいは。
どんな道を選んだとしても、私は棚橋選手を尊敬します。でもひとつだけ。東京ドームでもう一度「棚橋弘至 vs 中邑真輔」を見たいです。
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