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「痛み」をわかる人間でありたい~9.12代々木「エル・デスペラード vs 葛西純」の煽りコラム~
『燃え尽きて死んでもいいくらいの覚悟でやる』か。
— 葛西純 (@crazymonkey0909) September 9, 2022
それなりの覚悟は感じるが、葛西純の覚悟はデスペと真逆だ。
葛西純は『デスペの心を折って、生きて帰る覚悟しかない』
どちらの覚悟が大きいのか?
どちらの覚悟が正義なのか?
答えは12日にわかる。#生きて帰るまでがデスマッチ https://t.co/yROggAAZRp pic.twitter.com/AvPiTmcfSY
いよいよ今日ですね。PPVを買いました。
「血が出るから嫌。怖い」は、昔から「プロレスが好き」に対して高確率で発生するカウンターのひとつです。
だからなのか、新日本プロレスやWWEといったメジャー団体では、流血戦の頻度が昔に比べてかなり下がりました。新規ファンが安心して会場へ足を運べるように、という配慮なのでしょう。
一方で、血みどろの死闘が「ショーなんでしょ?」「痛くないようにやってるんだよね?」みたいな声への反論を担っている部分もあります。「これが痛くないように見えるの?」と。
ある意味、デスマッチはマニア向けの「コアなプロレス」であると同時に、これ以上ないほどに一見さん向けの「わかりやすいプロレス」なのかもしれません。
私が初めて見たデスマッチは、学生の頃にレンタルビデオ屋で借りたFMWの試合。91年9月に川崎球場でおこなわれた大仁田厚 vs ターザン後藤の「ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ」です。
途中、顔を何度しかめたかわかりません。興奮しながらもどこか切ない。子ども心にも「何でここまでしなきゃいけないんだ?」と。
この前年に週刊プロレスが彼らのデスマッチを表紙にして「わかったから、もうやめてくれ」というキャッチを付けています。まさにその心境でした。
我々はプロスポーツや芸能の世界で生きる人に対してお金を払い、代わりに彼らをダシにして(とあえて書きます)無責任に騒ぎ、楽しむことを許されています。「大衆娯楽」とはそういうもの。でもだからこそ「彼らも同じ人間」「俺たちが感じるように痛くてきついはず」「なのにここまでできるなんてすごい」という敬意を抱ける人間でいたいのです。
デスマッチを見れば他人の痛みがわかるようになる。そんな簡単な話じゃないのは重々承知しています。それでも、やっぱりもっと多くの人に見てほしい。
最後にひと言。ふたりとも生きて帰ってきてください!!
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