見出し画像

ときに号泣するほどに 心を込めて生きているか

物心つく前からスポーツ観戦が大好きで、スポーツはわたしにとって人生になくてはならない存在のひとつです。

この夏はパリ五輪が盛り上がっています。
ハイライトを追っているなかで、女子柔道52キロ級の阿部詩選手が、2回戦で敗れて号泣している姿がすごく印象的でした。
SNSやネットニュースを中心に、肯定的な声と否定的な声が飛び交いながら、話題になっています。そこで感じたことを触れさせてください。


瞬間的に自分へ矢印が向いた

ひとつの事実に対する意見や解釈に正解はないので、賛否の声を掘り下げる気はまったくありません。そもそもわたしは国の期待を背負って闘うひとりのアスリートに、ああだこうだとモノを言える人間でないので。

ただ瞬間的に感じたことがあったんです。
阿部詩選手の涙を見たとき、まずこの問いが浮かびました。

「どれだけのものをこの日までに注いできたんだろう」

そして、さらなる問いが自分へと向かいました。

「ある目標が達成できなかったとき、自分はこの世の終わりなんじゃないかというくらい、泣き叫び悔しがれるだろうか」

あれから少し時間が経ちましたが。この問いはわたしの心にいまだに余韻を残しています。

2024年の泣いた記憶

喜怒哀楽あってこその人間。
最近いつ泣いただろう。悔しくて泣いたこと、あっただろうか。

記憶をさかのぼったところ、2024年は4回泣いてました。
・恩人である経営者の方との対話 (理由:自分のふがいなさに)
・『 ONE PIECE 』109巻 ( 理由:くまの父としての想いに感情移入)
・『BLUE GIANT SUPREME』8巻 (理由:魂が震えた)
・109巻発売記念MV - ONE PIECE×Mr.Children「HERO」〜きみの味方〜 (理由:物語と歌詞のシンクロが凄まじかった)

笑うことと泣くことは表裏一体

一昨日、広報の大谷との対話のなかで、たまたま笑うことと泣くことについて話題が及びました。

対話の中では
・泣くということはすごく大事なことだよね
・笑うことと泣くことは背中合わせの一体の行為だよね
・泣くことを知っている人が心から笑えるよね
といったことを、本の言葉を用いながら話していました。

話しながら、また阿部詩選手の号泣シーンと、そこで自分が感じたことが思い出されてきて。

たとえば、何が何でも実現したい未来に、今を、すべてをささげてきて、もうこれ以上できないというところまで自分を追い込んで。
実現すれば本気で心から笑えるし、そうでない未来が訪れてしまったとしたら、絶望に打ちひしがれてしまうことは至極自然で人間らしいことだよなと。

歳を重ねるにつれて、泣くことをネガティブに捉えられる空気感があるかもしれません。でもそれこそ不自然な捉え方なのではと思ったりします。

魂が震えて号泣してしまうほどの未来を

ちょうど昨年の今ごろです。
思うようにいかないことばかりで、自分の力の無さや存在そのものに絶望して、気づくと涙が流れてしまっていた時期がありました。

幸運にも、周囲の方々の励ましや支援があり、当時の自分は立ち直ることができ、また歩みを進めはじめることができました。あの当時から自分自身と向き合い続けるなかで、少なからず内面の成長を実感しています。(とはいえ弱い生き物に変わりありません)

泣くということは、出来事に対する心の反応であり、自分自身の状態や大切にしている思いや価値観を映し出すひとつの事象。

阿部詩選手の号泣する姿を目にして改めて確認できたのは、わたしもそれほどまでに心から本気であらゆるすべてをささげたいという思いがあるということ。
そして、喜びや感動で涙するのは、人生において心から納得できる未来を実現し魂が震える、その瞬間1回かぎりでありたいということでした。

そう書いておきながら、10万部達成してしまう日が来た日にゃあ笑いながら泣いてしまうんだろうなと、想像しています。

何はともあれ、阿部詩選手のさらなるご活躍とより良き未来を心よりお祈りしています。(了)