”何が当たり前で、何が当たり前ではないか”芥川賞受賞作『ハンチバック』を読んで感じたこと
第169回芥川賞受賞作「ハンチバック」
作者の市川 沙央さんは「先天性ミオパチー」で生まれながらに筋組織の形態に問題がある病気を抱えている。
主人公が同じ病気を抱えている設定のため、一部のメディアでは当事者小説(自身のことを描いている)として扱われている。
あらすじ
本を読めることは健常者の特権?
本屋に行って自分好みの本を探す
本を両手で持つ
ページをめくる
気になった箇所に付箋をつける
これら当たり前のようにやっていることを”傲慢”と感じる人がいる。
決して悪いことをしているわけではない。
なんでもかんでも、多様な価値観を気にして自省してしまうと身動きがとれなくなる。
作者の市川さんも非難しているわけではない。
あくまで一個人の見解を小説を通して述べているだけ。
そう、それでよいのだ。
こういう自分にはない考え方を知るれることが読書の醍醐味。
そもそも当たり前って?
このように障害を題材にした作品や人に触れない限り、自分が健常者であることを意識することが正直ほとんどない。
それは、健常者にとって息を吸うこと、体を動かすことが当たり前になっているからなのか。だから病気やケガをしたときに、不自由なく生活できることのありがたみを感じる。
健常者・障害者で見えている景色が大きく異なることは間違いない。
ただ、どんなに想像を働かせても障害を抱えている人が見えている世界を
イメージすることはできない、それは逆もしかりではあるが。
見えている世界でいうと、健常者の中でも環境や教養のレベルによって大きく異なる。
この画像は、本を読む人と読まない人の見える世界の違いを表現した風刺画。ようは本を読んでいる人のほうが、高い視点から俯瞰して見えてるという解釈なのかな?
何が当たり前で、何が当たり前ではないか。
この作品を読んで改めて考えさせられた気がする。
”普通”との葛藤
主人公の釈華は小学校時代に、病気のせいで身体が少しずつ曲がっていく。
大人になった釈華が、他者との違いを感じた時のことを思い出し、自らの願望に気付いたシーン。
自分の身体は、健常者と同じような生殖機能があることを証明したかったのか。
「堕すところまでは追いつきたかった。」
妊娠しても出産することはできない。
仮に出産できたしても育てることが難しい。
そんな切ない思いが、この一文から伝わってくる。
ハンチバックとはテイストが全く異なるが、障害を抱えている登場人物の恋愛を題材にした漫画「初恋、ざらり」は併せて読むことをオススメしたい。
ストーリーは軽度の知的障害をもつ主人公有紗が、バイト先の男性社員岡村に恋心を抱くという内容。ただ、障害があることで様々な壁が立ちはだかり、その度に有紗は葛藤する。
こんなに切なくやるせない気持になる作品は初めて。
有紗は男性に身体を求められると「自分はこれくらいのことでしか役に立てない」と思い受け入れてしまう。
気づけば男性との関わり方は基本的に肉体関係ありきになっているため、岡村を好きになった際にどのように振る舞えばよいか分からない。
そんなときに有紗が発した一言。
「普通になりたい」
自分には障害があるから、誰かに好きになってもらえるはずない。
もし、普通に産まれていたらこんな苦悩を味わずに済んだのかもしれない。
有紗の気持ちになると、そのやるせなさで心がざらりとしてしまう。
健常者の中には「普通である」ことにコンプレックスを感じる人がいる。
有紗は「普通になりたい」と障害を抱え他者と違うことに苦悩する。
人の悩みを大きいとか小さいで優劣をつけてはいけない。
皆、それぞれ苦しみながら生きている。
最後に
ここまで読んで頂きありがとうございます。
内容的に不快な気持ちになる方もいると思うので、そう感じた人には素直に謝ります。
ごめんなさい。
だけど、自分が感じたことを正直に言葉にすることを大切にしていきたい。
そんな気持ちをもって書きました。
終
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